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キース・カムストック(Keith Martin Comstock , 1955年12月23日 - )は元プロ野球選手(投手)。現テキサス・レンジャーズ傘下のリハビリテーション・コーチ。 == 来歴・人物 == 1976年にカリフォルニア・エンゼルスからドラフト5巡目で指名され入団するが、長きに渡りマイナーで低迷。ようやく1984年に4球団目のミネソタ・ツインズでメジャー初昇格を果たすが、4試合に登板したのみで解雇される。 1985年に読売ジャイアンツに入団。当時としては魔球のスクリューボールを駆使し、1年目は貴重な左の先発としてローテーションに定着、8勝をマークするが、翌年はルイス・サンチェをストッパーとして獲得したこともありわずか3試合の登板にとどまり、結局この年限りで退団。 1986年オフにサンフランシスコ・ジャイアンツと契約、翌1987年に中継ぎで15試合に登板したところで、7月に3対4の交換トレードでサンディエゴ・パドレスへ移籍(交換相手の一人にケビン・ミッチェルがいる。ミッチェルは2年後にジャイアンツでナ・リーグMVPを獲得する)。1989年途中にシアトル・マリナーズに移籍し、そこでも中継ぎとして活躍。1990年には60試合に登板し7勝、防御率2.89をマークした。1991年に引退。 1998年から2001年までサンフランシスコ・ジャイアンツ傘下のマイナーチームで監督を務めた。その後エンゼルス傘下やテキサス・レンジャーズ傘下で投手コーチを務めた。 また、9歳年下の弟であるブラッドも、サンフランシスコ・ジャイアンツ傘下のマイナーチームで2シーズンプレイしている。 1985年シーズン中、2試合を残して王貞治の持つシーズン最多本塁打記録55本にランディ・バースが54本と迫っていた。残り2試合の対戦相手は巨人であり、巨人投手陣は江川卓以外、ランディ・バースを事実上敬遠する。カムストックは、後日自らの著書で当時を振り返り、「ある投手コーチから、彼にストライクを投げた場合、1球につき罰金1000ドルが課せられていた」と後述している〔Equaling Oh's HR record proved difficult 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「キース・カムストック」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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