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キーロフ : ミニ英和和英辞書
キーロフ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

キーロフ : ウィキペディア日本語版
キーロフ[ちょうおん]

キーロフ(, Kirov)はロシア中東部の都市。ヨーロッパ・ロシアの北東部、ウラル山脈の西側にあるキーロフ州の州都。ヴャトカ川の河畔に広がり、河港を持つほか、シベリア鉄道も通っている。モスクワからは東へ約900km、最寄の都市キーロヴォ=チェペツクからは西へ22km。
人口は2009年の時点で464,069人、2002年全ロシア国勢調査では457,578人。
1781年まではフルイノフ(, Khlynov)、1934年まではヴャトカ(, Vyatka)と呼ばれていた。1934年に革命家セルゲイ・キーロフを記念して改称された。セルゲイ・キーロフにちなむものとしては、ほかにもロシア海軍の巡洋艦のクラス名・キーロフ級ミサイル巡洋艦などがある。
== 歴史 ==

ウラル山脈のすぐ西にあるフルイノフの砦は12世紀末にはノヴゴロド共和国の商人によって建設され、さらにニジニ・ノヴゴロドからの住民が東のジョチ・ウルス領内へ入植する過程での前哨ともなった。1374年の文書でははじめて、町としてフルイノフという地名が登場する。
14世紀から15世紀のフルイノフはニジニ・ノヴゴロド公国に属する町で、ニジニ・ノヴゴロドからは離れているため大幅な自治を謳歌していた。ロシアの古い町同様クレムリ(要塞)があり、2メートルほの高さの壁で囲われていた。1489年にはフルイノフはイヴァン3世の遠征によりモスクワ大公国に併合され辺境の防衛拠点となった。しかしカザンを中心に勢力を誇っていたタタール人カザン・ハン国に征服されたこともあった。タタール人はフルイノフを「フルン」()と呼んだ。
フルイノフは古くから農産物の集散や工芸品作りで栄えた。近郊のディムコヴォ村で作られる土製の人形や笛などのおもちゃで知られ、現在でもディムコヴォ人形やヴャトカ人形などと呼ばれる。街の最古の建築は、1689年に遡る、5つのドームを頂く生神女就寝大聖堂である。
1781年にはフルイノフはヴャトカと改名された。1796年エカチェリーナ2世の地方行政改革でヴャトカ県が新設され、ヨーロッパ・ロシア北東部最大の町であったヴャトカはその県都となった。一方で18世紀から19世紀のヴャトカは流刑地でもあり、思想家アレクサンドル・ゲルツェン、建築家アレクサンドル・ヴィトベルク、風刺作家ミハイル・サルトィコフ=シチェドリンら反体制派の高位の人物がヴャトカへ流刑にされている。19世紀末にはシベリア鉄道が開通し、その重要な駅が置かれたヴャトカには工場などが集まり始める。
1917年から1922年までのロシア内戦では、シベリア鉄道上の要衝であるヴャトカは赤軍と白軍との戦場となり、町は大きく破壊された。1934年12月1日に共産党の指導者であったセルゲイ・キーロフが暗殺されると、同年12月7日、彼の故郷に近いヴャトカ市は彼を記念してキーロフと改名された。
1991年ソ連崩壊以後、市名をヴャトカに戻す提案もあったが立ち消えになり現在に至っている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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