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キーロン・ダイアー(Kieron Dyer, 1978年12月29日 - )は、イングランド・イプスウィッチ出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 元イングランド代表ミッドフィールダー。右サイドハーフを本職とするが、右サイドバックやセンターハーフでもプレーする事が出来る。 == 来歴 == === クラブ === 1996年に生まれ育ったイプスウィッチのクラブ、イプスウィッチ・タウンFCでプロデビュー。ここで大活躍するもチームはプレミアリーグ昇格にほど遠く、彼自身の知名度もそれほど上がらなかった。 ところが1998年頃から注目されるようになり、1999年に二部の選手には破格の600万ポンドでニューカッスル・ユナイテッドFCに入団する。その後はダイアー憧れのルート・フリットの跡を継いで監督になったボビー・ロブソンの下で大活躍、2002-2003シーズン、2003-2004シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ本戦出場の原動力になるなどチームの中核となる。しかしながら2001年に脛を負傷し、10ヶ月間離脱するなど怪我に悩まされる。 2005年4月にプレミアリーグ試合中に当時チームメイトであったリー・ボウヤーと突然掴み合いの喧嘩となり、翌日の新聞に2人がピッチ上でクロスカウンターを見舞っている写真が大きく掲載された。 2007年7月、ニューカッスルからウェストハムへの移籍交渉が進められ、一時はクラブ間でも合意、ウェストハムとダイアーとの交渉も合意に達し移籍がほぼ決まっていたが、ニューカッスルが600万ポンド(約13億4000万円)の移籍金に難色を示し、移籍交渉が決裂。2007年8月、移籍交渉が再開され移籍金で双方のチームが合意、移籍が正式に決定した〔West Ham complete signing of Dyer BBCスポーツ 2007年8月16日付〕。2011年3月、古巣であるイプスウィッチへ1か月間の期限付き移籍した〔Kieron Dyer signs for Ipswich Town on one-month loan BBCスポーツ 2011年3月11日付〕。 2010-11シーズン終了と共にウェストハムを退団し、クイーンズ・パーク・レンジャーズFCに1年契約で加入した〔Midfielder Kieron Dyer joins QPR on a one-year deal BBCスポーツ 2011年7月13日付〕。 2013年1月にQPRを退団してミドルズブラFCでトレーニングを積んでいたが、同月末に短期の契約をした〔Kieron Dyer: Middlesbrough complete deal for winger BBCスポーツ 2013年1月31日付〕。同年7月、現役を引退し指導者の道を歩むことを発表した〔Dyer announces his retirement - and then reveals his ambition to be the next Pep Guardiola インデペンデント 2013年7月31日付〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「キーロン・ダイアー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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