|
ギデオン・ブゼレジ(Gideon Buthelezi、1986年7月26日 - )は、南アフリカ共和国のプロボクサー。 ハウテン州ボイパトン出身。元IBO世界ミニマム級王者。元IBO世界ライトフライ級王者。 元IBO世界スーパーフライ級王者。IBO世界3階級制覇王者。 打たれ弱さもあるが逆に防御の高くブロッキングでカードを固め、手数の多さで試合を支配しそのまま押し切る選手。KO勝ちが4試合とめっきり少ないが、カウンターは一発を秘めている。 ==来歴== 2006年7月21日、プロデビュー(4回判定負け)。 2008年5月30日、南アフリカミニマム級王者ジョナス・クガサゴと対戦。世界ランカー候補だった相手を打たせずに有利に進め、2-1の僅差判定勝ちを収め王座獲得に成功した。 2008年9月12日、トセポ・レフェレと対戦。しかし相手の猛攻にさらされ6回レフェリーストップによるTKO負け。初防衛に失敗し、王座から陥落した。 2010年1月22日、ネルソン・ムチャーリとWBOアフリカミニマム級王座決定戦を行い、4回TKO勝ちで王座獲得に成功しこの試合をきっかけにミニマム級世界ランカー入りを果たす。 2010年6月19日、ロネル・フェレラス(フィリピン)とIBO世界ミニマム級王座決定戦を行い、12回3-0の大差判定(3者とも117-111)勝ちで王座獲得に成功した。 2010年9月18日、ジュリアス・アルコスとIBO王座の初防衛戦を行うはずだったが、アルコスが計量オーバーで失格となり、ノンタイトル戦に変更。終始試合をコントロールし3-0の判定勝ち。 2011年1月27日、IBO世界ミニマム級王座を保持したままIBO世界ライトフライ級王者ヘッキー・ブドラーと対戦し、2-1の僅差判定勝ちを収めIBO王座の2階級制覇を果たした。 2011年9月24日、メキシコシティにあるフォロ・ポランコで、WBC世界ライトフライ級王者アドリアン・エルナンデスと対戦した。長身のエルナンデスの強打に苦しみ、初回終了で9-10が2者でWBC王者エルナンデスが10-9はIBO王者ブゼレジが手数の多さが評価された。2回一気に3度倒され(この試合はスリーノックダウンでKOが成立するルールで行われた)自動的にKOが成立〔アルセ、エルナンデスも防衛 メキシコの世界戦 ボクシングニュース「Box-on!」 2011年9月26日〕。WBC王座の獲得に失敗、IBO王座は試合後に空位となった。 1年2か月の沈黙を破り、2012年11月10日、元WBC世界フライ級シルバー王者でWBC世界フライ級27位のエドウィン・ダプトンとIBO世界スーパーフライ級王座決定戦を行った。終始ダプトンの強打に手を焼き苦戦した。最後は打ち合いを行って積極性をアピール。試合は判定にもつれ12回2-1の判定で1点差でダプトンを支持(113-114)し、2、3点差でブゼレジを支持し(115-112、115-113)僅差で王座獲得に成功し3階級制覇を達成した。打力ではダプトンが上回ったが手数とラウンドの支配数でブゼレジが上回る結果になった。 2013年6月15日、ヌコシナチ・ジョイの前座でエドウィン・ダプトンとリマッチを行い、序盤はブゼレジが手数の多さで圧倒していて打ち合いでも分があった。しかしダプトンがボディ右ボディフックでガードを下げて、ガードを破りがら空きになった顎に左フック一撃でダウンを奪われ起き上がろうとするもレフェリーはカウントを途中でストップ。2分29秒KO負けで初防衛に失敗し王座から陥落した。 2014年12月6日、ナミビアウイントフックのウイントフック・カウンティ・クラブ・リゾートでWBOアフリカバンタム級王者でWBO世界バンタム級13位のイマヌエル・ナイジャラと対戦し12回判定勝ちで王座獲得に成功した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ギデオン・ブゼレジ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|