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ギマランイス・ローザ : ミニ英和和英辞書
ギマランイス・ローザ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ラン : [らん]
 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ギマランイス・ローザ ( リダイレクト:ジョアン・ギマランエス・ローザ ) : ウィキペディア日本語版
ジョアン・ギマランエス・ローザ[ちょうおん]

ジョアン・ギマランエス・ローザ(João Guimarães Rosa, 1908年6月27日 - 1967年11月19日)は20世紀の最も重要な作家の1人と評価されるブラジルの作家、外交官。
彼の最もよく知られた作品は『大いなる奥地:小径』(''Grande Sertão: Veredas'' 1956)であり、ブラジル人にとってはユリシーズにも比すると考える者もいる。〔http://www.cronopios.com.br/site/artigos.asp?id=1391〕〔http://www.rubedo.psc.br/artigosc/viverper.htm〕〔http://www.idelberavelar.com/archives/2006/06/ulisses_de_james_joyce_celebrao_do_bloomsday.php〕
== 生涯 ==
ジョアン・ギマランエス・ローザは1908年ミナスジェライス州コルジスブルゴで、六人兄弟の最初の子供として生まれた。
彼は多くの分野を独学し、七歳になる前からフランス語を始めるなど、子供の頃からも多くの言語を勉強していた。このことは彼が後年、甥とかわした以下のインタビューからも伺える。〔http://www.kke.org.br/pt/dossie/guimaraes_rosa_e_o_esperanto.php〕〔http://www.germinaliteratura.com.br/pcruzadas_guimaraesrosa_ago2006.htm〕

子供の時に彼は祖父の家の有るベロオリゾンテに引っ越し、そこで小学校を卒業した。彼は中等教育をサン・ジョアン・デル・レイにあるサント・アントニオ大学で始めたが、しかし間もなくしてベロオリゾンテに戻り、そこで卒業した。1925年にわずか16歳にして、当時オウロ・プレット薬科学校であったミナス・ジェライス連邦大学に出願した。
1930年6月27日、彼は齢16歳の少女、リヒア・カブラル・ペナ(Lígia Cabral Penna)と結婚するが、すでに彼女との間にビルマ(Vilma)、アグネス(Agnes)という二人の娘をもうけていた。同年彼は卒業し、当時ミナスジェライス州のイターナ市であったイタヮラにおいて医療活動を始め、そこで約二年間暮らすことになる。この町において初めて、彼はセルタオン(''sertão'' ブラジルの旱魃地帯)の一部に触れた。このことは、彼の作品の多くについて参考となり、それらの着想の役に立ったのかもしれない。
イタヮラに戻るとギマランエス・ローザは、1932年の護憲革命下において州公安軍 (''Força Pública'') でボランティアの医師として働き、ミナスジェライス州のパサ・クアトロ市にあったいわゆるTunel sectorに向かい、そこで彼は未来の大統領であるジュセリノ・クビシェッキと出会う。このとき彼は献血病院の主任であった。後に彼は試験に合格し公務員となり、1933年にはバルバセナに行き第九機甲大隊(''Oficial Médico do 9º Batalhão de Infantaria'')の軍医の地位に就く。彼の人生の大半は、ヨーロッパやラテン・アメリカへのブラジル大使として費やされる。
1963年、彼は二回目の立候補において、満場一致の評決でブラジル文学アカデミー(''Academia Brasileira de Letras'')への入会が認められた。四年間の延期の末、彼は1967年リオ・デ・ジャネイロで心臓発作による不可解な死を遂げるたった三日前に、自分の巡り合わせを予想していた。彼の死は、彼の傑作『大いなる奥地:小径』によって予め告げられている。作中において詩人であるリオバードはセルタオン(文学のメタファー)からヘルモゲネスを削除するためルシファーと契約を交わし、その代償は他の全てのファウスト的契約と同じく、魂である。
ギマランエス・ローザは彼の外交官として、また文学者としての経歴の絶頂期においてその生涯を終えた。わずか59歳であり、彼の死と彼の作品の謎は、決して解かれることはないであろう。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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