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ギャビー・クラバス : ミニ英和和英辞書
ギャビー・クラバス[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ビー : [びー]
 (n) bee, (n) bee
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ギャビー・クラバス : ウィキペディア日本語版
ギャビー・クラバス[ちょうおん]

ギャビー・クラバス(Clifford Carlton "Gavvy" Cravath、 1881年3月23日 - 1963年5月23日)は、主に1910年代に活躍したアメリカメジャーリーグの野球選手。ポジションは外野手カリフォルニア州エスコンディド生まれ。右投げ右打ち。ニックネームは"Cactus"(カクタス=サボテンの意)。
飛ぶボールが導入され本塁打が量産される以前の1910年代に、リーグ最多本塁打を6度記録した長距離打者。
== 経歴 ==
ニックネームの"Gavvy"は、スペイン語の「カモメ」が語源で、クラバスがメジャーにデビューする前の1900年代初頭のある試合で、強烈な打球が飛んでいるカモメに衝突したことがきっかけだという。1903年にパシフィック・コーストリーグでプロ選手として活動しはじめ、1908年にレッドソックスからメジャーに上がった時には27歳になっていた。しかし長打は放つが決して足が速くなかったクラバスは、トリス・スピーカーハリー・フーパーらを要するレッドソックスの外野のレギュラーをつかめず、翌年にはレッドソックスを離れた。
3年後の1912年にフィリーズに入団。クラバスは既に31歳になっていたが、当時のフィリーズの本拠地だったベーカー・ボウルが極端に右翼が狭かったこともあり、本塁打を量産するようになる。フィリーズに移って2年目の1913年にはリーグ最多の19本塁打とリーグ最多安打(179本)、及びリーグ最多打点を記録、この年の最優秀選手の選考で2位となった。また1915年には本塁打24本、115打点、89得点と、再び3つの部門でリーグトップの成績を収めた。
その後1916年を除いて、38歳になる1919年までリーグ最多本塁打を6回獲得し、通算119本塁打は一時期通算本塁打数のMLB記録(20世紀以降)になったこともあった。しかしクラバスが引退した1920年にボールの規格が変わって本塁打が量産されるようになり、この記録はすぐに更新され、クラバスが通算本塁打数記録を持っていたこと自体もあまり知られることはなかった。クラバスは1919年からフィリーズの監督を兼任したが、チームは下位に低迷し、1920年を最後に選手及び監督の座から退いた。その後パシフィック・コーストリーグの監督やミネアポリス球団のスカウトなどをして野球と関わっていたが、野球から離れた後はしばらく不動産業を営み、1927年以降はカリフォルニア州で36年間判事の職についていた。1963年に82歳で死去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ギャビー・クラバス」の詳細全文を読む




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