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ギャビー・ハートネット : ミニ英和和英辞書
ギャビー・ハートネット[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ビー : [びー]
 (n) bee, (n) bee
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ギャビー・ハートネット : ウィキペディア日本語版
ギャビー・ハートネット[ちょうおん]

ギャビー・ハートネット(Charles Leo "Gabby" Hartnett, 1900年12月20日 - 1972年12月20日)は、1920年代 - 1930年代のアメリカメジャーリーグの選手。主なポジションは捕手ロードアイランド州ウォーンソケット生まれ。右投げ右打ち。ニックネームの"Gabby"(『口達者』の意)は、物静かで控えめな彼に、チームメイトが皮肉を込めてつけたあだ名である。
== 経歴 ==

=== 球歴 ===
14人兄弟の長男として生まれた。1922年にシカゴ・カブスに入団、1年目31試合、2年目は85試合に出場する。捕手ながらフィールディングに優れており、怪我で出場できない試合の多かった1926年や1929年を除き、1930年までは刺殺・補殺・併殺の数がリーグ最多を記録したことが何度もあった。また打撃面では、1925年に24本塁打(リーグ2位)の成績を残した。
1929年に怪我でほとんど試合に出られなかった(殆ど代打で、捕手としては1試合しか出場できなかった)ことが契機になって、1930年以降は怪我をしないプレーを心がけるようになる。同年、打率.339、本塁打37本を放って正捕手の座に返り咲き、以降1937年まで、毎年100試合以上出場と、安定した成績を残せるようになった。
1932年に正捕手としては初めてのワールドシリーズに出場。翌年から始まったオールスターゲームにも、6年連続での出場を果たす。特に1934年にカール・ハッベルとバッテリーを組み、ベーブ・ルースルー・ゲーリッグジミー・フォックスアル・シモンズの4人を連続三振に打ち取った試合は有名である。打撃面では、このほか1935年と1937年に、それぞれ打率.344、.354を記録し、首位打者争いでリーグ3位となる成績を収めた。
1938年からは3年間カブスの監督を兼任、監督兼任の最初の年、カブスはパイレーツとの激しい優勝争いの末、ナショナルリーグを制覇した。1941年にジャイアンツで現役を引退する。その後は1946年まで、マイナーリーグの監督をしていた。
1955年に記者投票によりアメリカ野球殿堂入り選手に選出。1960年代には、一時期カンザスシティ・アスレチックスのコーチおよびスカウトを務めていた。1972年、肝硬変のためイリノイ州にて死去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ギャビー・ハートネット」の詳細全文を読む




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