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ギュンター・シャボフスキー(, 1929年1月4日 - 2015年11月1日)は元東ドイツのドイツ社会主義統一党(SED)の政治家、ジャーナリスト。 ベルリンの壁崩壊のきっかけを作った人物として知られる。「シャボウスキー」とも表記される。 == プロフィール == ヴァイマル共和政時代のドイツ、ポンメルン地方の(現メクレンブルク=フォアポンメルン州)生まれ。ライプツィヒ大学でジャーナリズムを専攻した後、労働組合の機関誌の編集の仕事に就いた。1952年に東ドイツのドイツ社会主義統一党(SED)の党員となっている。1978年には東ドイツにおいて最も有名な新聞であった社会主義統一党の機関紙(,「新しいドイツ」の意味)の編集長の職に就く。1981年に彼はSEDの中央委員会の委員および人民議会議員となった。続いて1984年5月の中央委員会でSED中央委員会政治局員に昇格、翌1985年にはSEDベルリン地区委員会第一書記となり、首都東ベルリンにおける責任者となる。シャボフスキーはエーリッヒ・ホーネッカー政権のナンバー2だったエゴン・クレンツ(政治局員、治安・青年問題担当書記、国家評議会副議長)やハンス・モドロウ(SEDドレスデン地区委員会第一書記。後の首相)と共に将来の党書記長候補の一人に挙げられる有力政治家であった〔三浦元博・山崎博康『東欧革命-権力の内側で何が起きたか-』(岩波新書 1992年 ISBN 4004302560)P29〕。党の指導者たちに認められていた特権を、この頃の彼およびその家族が乱用したとして非難する向きも存在する。 1989年10月のエーリッヒ・ホーネッカー書記長失脚の際には、エゴン・クレンツらと共に、ホーネッカーの失脚工作を行った〔三浦・山崎『東欧革命-権力の内側で何が起きたか-』P10-16〕。また11月4日の東ベルリンでの大規模デモの際には群衆に応対するなど、党のスポークスマン役としてマスコミや在野勢力との応対にもあたっている〔三浦・山崎『東欧革命-権力の内側で何が起きたか-』P23-24〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ギュンター・シャボフスキー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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