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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 歴史 : [れきし] 【名詞】 1. history
本項では先史時代から近現代に至るギリシャの歴史(ギリシャのれきし)について述べる。 現代のギリシャの版図は第二次世界大戦後形成されたものであるが、この範囲は古代ギリシャの版図とほぼ一致している。ただし、中核部分が過去と一致するといえども、ギリシャの歴史を記述するに当たり、ギリシャ文明による影響は、ギリシャから東はアフガニスタンのヒンドゥークシュ山脈、南はエジプトのクシュに及び、その範囲は大きい。 ==ギリシャ人の概念== ギリシャ人と言ってもこの範囲は幅広く存在する。古代ギリシャでは自らを『ヘレネス』と自称し、それ以外の異民族を『バルバロイ』と呼称した。また、ギリシャの時代区分として『ヘレニズム時代』が存在するが、この語源『ヘレニゼイン』には『ギリシャ語を話す』という意味があり、ギリシャ人の基本概念は一般的に『ギリシャ語を話す人々』を指しているが、母語がギリシャ語であるかどうか、母語がギリシャ語でも血統はどうか、また、母語としていても方言等の派生言語系統を含めてどこまでがギリシャ語であるか、という問題が存在する。ただし、古代ギリシャにおいてはギリシャ語はあくまでも認定要件のひとつに過ぎず、祭儀や慣習の共有が重視されていた〔周藤、村田(2000)、p.28.〕〔桜井(2005)、p.7.〕。 この意識は前6世紀に至って形成が開始され、前5世紀のペルシア戦争の影響で確立されたという研究が近年出されている〔。 また、ギリシャ語を母語とすることよりも重視された例として1923年のローザンヌ条約で決定された、ギリシャとトルコの間で行われた住民交換の例が存在しており、この際、ギリシャ人の基本概念とされたのは『宗教』であり、トルコのギリシャ正教徒がギリシャへ送られる事となった。また、ギリシャ国内にも中世以降、アルバニア人が流入、現在も固有の言語・生活を維持しながら暮らし、彼らはギリシャ語を話すこともできる上に外見では見分けがつかなくなってはいるが、民族系統としてはアルバニア人であり、なおかつギリシャ国民である〔周藤、村田(2000)、pp.8-9.〕。 このように、ギリシャ人を定義付けるのはかなり困難であるが、彼らがギリシャ人であるという基本概念はミケーネ文明以来、その文化の中核を担ってきた人々がギリシャ人の子孫であるという意識を持っていたということが存在する。古代ギリシャの人々は各地に殖民を行い、他の人々(例としてフェニキア人)などと交流してきたが、この中でギリシャ人という意識が芽生えたことにより、ギリシャ人のアイデンティティが形成され、ローマ帝国やオスマン帝国占領下においても『我々はギリシャ人』という民族意識が保たれ、現在のギリシャ人へと繋がっている〔周藤、村田(2000)、pp.9-10.〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ギリシャの歴史」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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