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ギルバート・マーシャル諸島の戦い(ギルバート・マーシャルしょとうのたたかい)は太平洋戦争(大東亜戦争)中のギルバート諸島、マーシャル諸島で行われた一連の戦闘の総称。マリアナ・パラオ諸島の戦いまで含めてミクロネシア一帯の島々を巡る戦闘を中部太平洋の戦いとしてとらえることもある。 == 概要 == === 日本によるギルバート諸島占領 === 第一次世界大戦後、日本はマーシャル諸島やカロリン諸島など赤道以北の旧ドイツ領ニューギニアを委任統治領とし、国際連盟脱退後も統治を継続していた。他方、ギルバート諸島はイギリス領で、赤道以南の旧ドイツ領ニューギニアであるナウルはイギリス・オーストラリア・ニュージーランドの共同委任統治領となっていた。委任統治領としての制約や四カ国条約との関係で、これらの島々の軍事拠点化は基本的に行われていなかった。 太平洋戦争が勃発すると、日本軍は1941年12月10日にギルバート諸島をほぼ無抵抗のうちに占領した。マーシャル諸島に展開した日本軍航空部隊は、ウェーク島の戦いでは、支援爆撃を行った。開戦後も、マーシャル諸島などの南洋諸島の陸上防備はきわめて手薄な状態で、海軍担当地域とされたために陸軍部隊はまったく配置されていなかった。 一方、序盤のアメリカ海軍は、真珠湾攻撃生き残りの空母を活用したゲリラ的な反撃を展開し、1942年2月1日にその最初の事例となるマーシャル・ギルバート諸島機動空襲を行ったが日本軍の被害は特に大きくはなかった。同年5月のミッドウェー海戦で日本軍の攻勢の勢いが以前のもの程ではなくなった後も、ソロモン諸島の戦いが日米の主戦場となり、中部太平洋方面への反攻は始まらなかった。例外として同年8月にマキン奇襲が行われ、脆弱な日本軍マキン守備隊が全滅する事件はあった。 マキン奇襲に刺激を受けた日本海軍は、ギルバート諸島防衛を担当する第3特別根拠地隊を新設し、海軍陸戦隊を増強してギルバート諸島の陸上防備を強化した。また、1942年秋に大本営は「占領地防備要綱」を決め、中部太平洋方面の防備強化のため、陸軍部隊を海軍指揮下に派遣することになった。ただ、輸送船の撃沈やニューギニアの戦いの激化により、陸軍部隊の展開は大きく進まなかった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ギルバート・マーシャル諸島の戦い」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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