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ジ・エンフォーサー(The Enforcer、本名:Charles Weir、1935年1月14日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。ミシガン州デトロイト出身。生年は1943年ともされる〔『新日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P54(2002年、日本スポーツ出版社)〕。 == 来歴 == 少年時代から不良グループのリーダーとして喧嘩に明け暮れ、その腕っ節の強さを活かして合法的に金を稼ぐべく、1958年にプロレス入り〔。"バスター" ギロチン・ゴードン(''"Buster" Guillotine Gordon'')をリングネームに、1964年にはヨーロッパでリング禍を起こし対戦相手を死亡させ、欧州マットを追放されたという〔。 1960年代半ばからはカナダのモントリオールやアメリカ南部のNWAジョージア地区など激戦区を転戦。大型ヒールとして頭角を現し、1967年下期よりニューヨークのWWWFに登場。クレージー・ルーク・グラハムやバロン・シクルナと組み、ブルーノ・サンマルチノ、エドワード・カーペンティア、ヘイスタック・カルホーン、スパイロス・アリオンなどベビーフェイスのスター選手と対戦した。 1972年からはイーヴィル・アイ・ゴードン(''Evil Eye Gordon'')と名乗ってNWAミッドアトランティック地区の前座試合に出場し、ネルソン・ロイヤル、ロニー・ガービン、ジム・ディロン、ルーク・ブラウンなどと対戦。1973年にはジョージア地区でアーニー・ラッドやカウボーイ・ボブ・エリスとも対戦したが、以降1974年から1979年にかけて、しばらくリングを離れていた〔。 1980年、マフィア・ギミックのエンフォーサー・ルシアーノ(''Enforcer Luciano'')に変身してミッドアトランティック地区に復帰〔。スキンヘッドにソフト帽を被り、右眼には黒いアイパッチという殺し屋スタイルとなり、ブラックジャック・マリガンと「カウボーイ対マフィア」の抗争を展開、"Detroit Street Brawl Match" なるストリート・ファイト・デスマッチでも雌雄を決した。ミッドアトランティックではマスクド・スーパースターやレイ・スティーブンス、グレッグ・バレンタインらヒール勢と共闘し、アンドレ・ザ・ジャイアントやリック・フレアーとも対戦している。 この変身については、マット界から姿を消していた際、彼は実際にマフィア組織のエンフォーサー(取り立て屋)を仕事にしており、そのときのトラブルがもとで右眼を失明したとされている〔DVD『国際プロレス クロニクル 下巻』特典付録CD-ROM 国際プロレス全パンフレット / '81 ビッグ・サマー・シリーズ(2011年、クエスト)〕。 1980年下期からはロサンゼルスのNWAハリウッド・レスリングを主戦場に、アル・マドリル、フランク・ヒル、トム・プリチャードらと対戦。オックス・ベーカーとも大型タッグチームを結成し、同地区認定のタッグ王座を再三獲得した。ロサンゼルスでは、プロフェッサー・イトーこと上田馬之助が彼らのマネージャー役を務めていたこともある〔『別冊ゴング 1980年11月号』P132-134(1980年、日本スポーツ出版社)〕。 翌1981年1月、ジ・エンフォーサー(''The Enforcer'')の名義で新日本プロレスに初来日。2月9日に秋田で坂口征二の北米ヘビー級王座に挑戦した。同年7月には外国人エースとして国際プロレスの最終シリーズに参戦し、8月6日に北海道室蘭にてラッシャー木村のIWA世界ヘビー級王座に金網デスマッチで挑戦。同王座への最後のチャレンジャーおよび木村の金網デスマッチにおける最後の対戦相手となった〔『忘れじの国際プロレス』P102(2014年、ベースボール・マガジン社、ISBN 4583620802)〕。同シリーズには夫人のバニー・キャロルをマネージャーとして帯同しており、これが日本マットにおける初の女性マネージャーの登場とされている〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジ・エンフォーサー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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