|
クアウテモック(, 1495年頃 - 1525年2月28日)は、アステカの第11代の君主(トラトアニ、在位1520年 - 1521年)。名の意味は「急降下する鷲」。エルナン・コルテスと戦った第9代の君主モクテスマ2世の従兄弟にあたる〔モーリス・コリス「コルテス征略誌」金森誠也訳 講談社学術文庫(2003)ISBN 4-06-159581-4 〕。'', 1495年頃 - 1525年2月28日)は、アステカの第11代の君主(トラトアニ、在位1520年 - 1521年)。名の意味は「急降下する鷲」。エルナン・コルテスと戦った第9代の君主モクテスマ2世の従兄弟にあたる〔モーリス・コリス「コルテス征略誌」金森誠也訳 講談社学術文庫(2003)ISBN 4-06-159581-4 〕。 == 事跡 == 1520年、アステカ人はモクテスマ2世(モテクソマ・ショコヨティン)のあとに、その甥でモクテスマ2世に次いで位が高かった新王クィトラワクを選んだ。しかし、スペイン軍が持ち込んだ天然痘が蔓延して、在位わずか80日でクイトラワクは死亡し、25歳でトラテロルコ区長であったクアウテモックを王に推戴した。クイトラワクの妃であったモクテスマ2世の娘もクアウテモックに嫁いだ。 1521年、エルナン・コルテスがアステカの首都テノチティトランを包囲すると、3ヶ月の攻防戦に耐えて勇敢に立ち向かったが、8月13日、脱出を試みる途中にスペイン軍に捕らえられて降伏し、アステカは滅んだ。クアウテモックはコルテスの短刀を指さして自分を殺すように言ったが、コルテスは彼を殺さず、勇者として手厚くもてなした。しかしそれは始めのうちだけで、黄金の場所をつきとめるためにコルテスは彼を拷問にかけた。 1525年2月28日、反乱を企てたとの疑いにより、クアウテモックはコルテスによって絞首刑に処された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「クアウテモック」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|