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クィーントゥス・トゥッリウス・キケロー : ミニ英和和英辞書
クィーントゥス・トゥッリウス・キケロー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

クィーントゥス・トゥッリウス・キケロー ( リダイレクト:クィントゥス・トゥッリウス・キケロ ) : ウィキペディア日本語版
クィントゥス・トゥッリウス・キケロ[ちょうおん]
クィントゥス・トゥッリウス・キケロ, 紀元前102年 - 紀元前43年)は、共和政ローマ期の軍人政治家マルクス・トゥッリウス・キケロの弟で、ガリア戦争ではガイウス・ユリウス・カエサルの属将の1人を務めた。'', 紀元前102年 - 紀元前43年)は、共和政ローマ期の軍人政治家マルクス・トゥッリウス・キケロの弟で、ガリア戦争ではガイウス・ユリウス・カエサルの属将の1人を務めた。
== 生涯 ==
兄マルクスと共に紀元前79年から紀元前77年までローマ、アテナイ、そしておそらくロドス島で学問を習得した。紀元前70年には兄の親友ティトゥス・ポンポニウス・アッティクスの妹ポンポニアと結婚したものの、夫婦仲は悪く、兄やアッティクスは仲裁に何度も入ったが、紀元前45年に離婚した。
紀元前66年アエディリス(按察官)、紀元前62年プラエトル(法務官)を務め、紀元前61年から紀元前59年までプロプラトエル(前法務官)としてアシア属州属州総督を務めた。しかし、大きな実績を残すには至っておらず、アシア属州総督以降、しばらくのクィントゥスの動向は掴み難い。
紀元前58年、兄は第一回三頭政治側の護民官であったプブリウス・クロディウス・プルケルと激しく対立し、ローマを追放された。追放の前に当時ガリア属州総督であったガイウス・ユリウス・カエサルは兄にガリア戦争の幕僚に加わるように要請したが、断わられている。兄は紀元前57年にローマへ帰還したが、ガリアへはクィントゥスがレガトゥス(総督副官)として紀元前54年より赴任した。
紀元前54年、エブロネス族アンビオリクスによって、アドゥアトゥカの戦いクィントゥス・ティトゥリウス・サビヌスらが率いるローマ軍団(第14軍団)が壊滅する事態に陥った。アンビオリクスの勝利に呼応したネルウィ族によって、ネルウィ族の地に1個軍団を率いて冬営を張っていたクィントゥスの陣は激しい攻撃を受けたものの、カエサル自ら率いた救援軍の到着まで凌ぎきった。紀元前51年からは兄と共にキリキアへ赴任した。
紀元前49年からのローマ内戦では兄に従って元老院派に組したものの、やがて離脱して中立を保った。紀元前44年3月にカエサルが暗殺された後、兄はオクタウィアヌスと手を結んでマルクス・アントニウスを追い落とそうとしたものの、オクタウィアヌスはアントニウス及びマルクス・アエミリウス・レピドゥス第二回三頭政治を組んだため、逆に兄はアントニウスよりプロスクリプティオ(法の保護の対象外に置くリスト)に掲載され、クィントゥスも同じくリストに入った。クィントゥスは兄と共に、マケドニアに勢力を持っていたマルクス・ユニウス・ブルトゥスの許で逃れようとしたが、紀元前43年にアントニウス派の追っ手により殺害された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「クィントゥス・トゥッリウス・キケロ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Quintus Tullius Cicero 」があります。




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