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クイーンズベリー公爵 : ミニ英和和英辞書
クイーンズベリー公爵[くいんずべりー]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [こう]
  1. (n,suf) prince 2. lord 3. duke 4. public 5. daimyo 6. companion 7. subordinate
公爵 : [こうしゃく]
 【名詞】 1. prince 2. duke 

クイーンズベリー公爵 : ウィキペディア日本語版
クイーンズベリー公爵[くいんずべりー]

クイーンズベリー公爵(クインズベリー公爵/クイーンズベリ公爵; )は、イギリス公爵位。スコットランド貴族
1684年に初代クイーンズベリー侯爵ウィリアム・ダグラスが叙位されたことに始まる。継承法の違いによりクイーンズベリー侯爵とクイーンズベリー公爵の保持者は4代公を最後に別人となり、以後公爵位はバクルー公爵に相続されている。
== 歴史 ==
第2代(1358-1388)の私生児(-1427)の子孫は、代々スコットランド・ダンフリーズ・のを務めた。その9代目の当主であるウィリアム・ダグラス(-1640)は、国王ジェームズをドラムランリグに迎えたり、ダンフリーズシェリフ等の官職を務めるなどして、1628年4月1日ドラムランリグ子爵(Viscount of Drumlanrig)ホーイック=ティバーズのダグラス卿(Lord Douglas of Hawick and Tibbers)1633年6月13日クイーンズベリー伯爵(Earl of Queensberry)に叙せられた。いずれもダグラスの紋章と姓名を受け継ぐ男系男子に継承させる旨の継承規定("heirs male bearing the surname and arms of Douglas")が付けられたスコットランド貴族爵位である。
初代クイーンズベリー公爵となるウィリアム・ダグラスは、その孫で、1680年から1682年までを、1682年から1686年までスコットランド大蔵卿()を務めた政治家であった。1685年の議会ではとしてスコットランド王ジェイムズ7世(イングランド王ジェイムズ2世)に仕えたが、翌年に公職から追放された〔。しかし晩年にウィリアムとメアリーの即位を支持し、王室からの信頼を回復している〔。彼は1671年に父親の第2代クイーンズベリー伯爵ジェイムズ・ダグラスからクイーンズベリー伯爵を相続し、1682年2月11日クイーンズベリー侯爵(Marquess of Queensberry)ドラムランリグ=サンクアー伯爵(Earl of Drumlanrig and Sanquhar)ニス=トーソルウォルド=ロス子爵 (Viscount Nith, Torthorwald and Ross)キルモント=ミドルビー=ドーノックのダグラス卿(1st Lord Douglas of Kilmount, Middlebie and Dornock)に叙せられた。この4爵位はいずれも"heirs male whatsoever"
〔の継承規定が付いたスコットランド貴族であった。ついで1684年2月3日にはクイーンズベリー公爵(Duke of Queensberry)ダンフリーズシャー侯爵 (Marquess of Dumfriesshire)に叙せられた。この2つの爵位は"heirs male of his body"〔の継承規定が付けられたスコットランド貴族であった。
第2代クイーンズベリー公爵ジェイムズ・ダグラスは、初代クイーンズベリー公爵の息子である。彼は名誉革命においてオラニエ公ウィレム3世(イングランド王ウィリアム3世、スコットランド王ウィリアム2世)を支持してとなった〔。1695年に公爵位を相続すると、およびスコットランド王璽尚書()に、1700年国務大臣()に指名された〔。1703年に彼は初代アサル公爵ジョン・マーレイに対する対抗心からジャコバイトの第11代の計画に参加したが、この陰謀が発覚して解任された。しかし後に赦されて1705年にスコットランド王璽尚書に復し、1707年連合法の成立へ向けて尽力。統合後の1708年5月26日ドーヴァー公爵 (Duke of Dover)ビバリー侯爵(Marquess of Beverley)リポン男爵(Baron Ripon)へ叙され(すべてグレートブリテン貴族爵位)〔、1709年スコットランド大臣へ任命されている〔。
2代公の嫡男である次男(1697-1715)は、精神障害者で人肉を食らう殺人者だった〔Maxwell vol ii, p284 〕。そのため1706年6月17日にクイーンズベリー侯爵位を除く初代公の代に叙された爵位群(1682年と1684年の爵位)は一度王冠に返還し、三男(1698-1778)に継承させる旨の特別継承権の規定を付け加えたうえで再び与えられた。またこの際に爵位継承範囲を初代伯に遡っての男子もしくは女子の子孫に拡張させる規定も加えられた〔。
これにより2代公の死後、クイーンズベリー侯爵位および初代伯の代に叙された1628年と1633年の爵位群(クイーンズベリー伯爵位以下3爵位)は次男ジェイムズ(3代侯)に継承されたが、クイーンズベリー公爵位以下1682年・1684年の爵位群は三男チャールズ(3代公)に継承された〔。
3代公はやスコットランド王璽尚書を務めた政治家で、襲爵前の1706年6月17日ソルウェイ伯爵(Earl of Solway)、ティバーズ子爵(Viscount Tibbers) 、ロッカービー=ダルヴィーン=ソーンヒルのダグラス卿(Lord Douglas of Lockerby, Dalveen and Thornhill)に叙せられていた(いずれも2代公の男系男子に継承権を認める規定の付いたスコットランド貴族爵位)〔。また1715年には3代クイーンズベリー侯ジェイムズが子供なく死去したため、クイーンズベリー侯爵位も3代公が継承している〔。
1778年に3代公は死去したが、彼の二人の息子もすでに子のないまま歿していたため、ドーヴァー公爵位以下1708年創設のグレートブリテン貴族爵位とソルウェイ伯爵以下1706年創設のスコットランド貴族は断絶した。一方クイーンズベリー公爵以下それ以外の爵位は第2代クイーンズベリー公爵の弟の孫にあたる第3代によって相続された。「」と渾名された彼は、競馬・演劇・美術のパトロンとして有名であり、また浪費家としても悪名高い〔。
未婚であった4代公が1810年に死去すると、クイーンズベリー公爵、ダンフリーズシャー侯爵、ドラムランリグ=サンクアー伯爵、ニス=トーソルウォルド=ロス子爵、キルモント=ミドルビー=ドーノックのダグラス卿など1706年に女系継承を認める特別継承権の規定を付け加えられた爵位は、などの財産とともに第2代クイーンズベリー公爵の娘の子である第3代バクルー公爵ヘンリー・スコット(1746–1812)が継承した。一方付け加えが行われなかったクイーンズベリー侯爵、クイーンズベリー伯爵、ドラムランリグ子爵、ホーイック=ティバーズのダグラス卿は第2代クイーンズベリー伯爵の弟の来孫にあたる準男爵が継承した〔〔。なお第4代クイーンズベリー公爵が父親から相続したマーチ伯爵は初代クイーンズベリー侯爵の娘の玄孫である(後の第8代)が継承し、母親から相続したは断絶した〔。
以後、クイーンズベリー公爵の称号は代々のバクルー公爵が帯びている〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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