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クイーンズボロ橋(英語: Queensboro Bridge)は、59丁目橋(59th Street Bridge) – 橋のマンハッタン側が、59丁目と60丁目の間に位置するため – としても知られ、正式名称はエド・コッチ・クイーンズボロ橋(Ed Koch Queensboro Bridge)で、1909年に完成した、ニューヨーク市、イースト川に架かる片持ち梁橋である。橋は、クイーンズ区のロングアイランド・シティ地区から、ルーズベルト島を通ってマンハッタンと結んでいる。橋はニューヨーク州道25号線となっており、州道であるのは橋の西から4つ目のスパンまでである(ニューヨーク州道25号線は、橋が西端となっており、以前はNY 24とNY 25Aが走っていた)。橋の北側には、横に独立したルーズベルト島トラムウェイが走っている。 2010年12月、市は、橋がクイーンズボロ橋から、前市長エド・コッチに敬意を示して、エド・コッチ・クイーンズボロ橋に改名することを発表した。改名の決定は、クイーンズの住民や財界人には喜ばれず、多くの地元住民が古い名称を使って橋を呼んでいる。 == 歴史 == マンハッタンにロングアイランド・シティを繋ぐ橋の重要な計画は、1838年から始まり、1867年には、民間企業による投資が初めて試みられた。この努力は結実することはなく、この会社は1890年代に破産した。成功した計画は、市の新しい橋部のもと、1903年から始まり、ウィリアムズバーグ橋を設計したレファート・L・ブックとヘンリー・ホルンボステルが協力して、1902年に橋委員会の新しい地位に就いたグスタヴ・リンデンタールが指揮した。 建設はすぐに開始されたが、暴風の中、労働不足により不完全だったスパンが崩壊(ダイナマイトで爆破することが試みられた)し、橋が完成するまでには1909年までかかった。橋が一般に開業したのは、1909年3月30日であり、約1800万$と50人のコストがかかった。セレモニーが行われたグランド・オープンは、1909年6月12日に行われた。橋は、初期のルーズベルト・アイランドという名称より、ブラックウィルズ・アイランド橋として知られていた。1930年から1955年にかけて、現在はルーズベルト島として知られるウェルフェア島に、自動車や歩行者を輸送する乗り物エレベーターがあった。これは、1970年に取り壊された。 クイーンズボロ橋は、ダブル片持ち梁橋で、ルーズベルト島の両側の海峡を越える、2つの片持ち梁スパンを持っている。橋はスパンをつり下げてはおらず、各側からの片持ち梁は、スパンの中間点まで達する。下記は、5つのスパンと出入り口の長さを示している。 *マンハッタンへのルーズベルト島スパン(片持ち梁): *ルーズベルト島スパン: *ルーズベルト島へのクイーンズ・スパン(片持ち梁): *サイド・スパン: *出入り口全体: *出入り口を含む全体: 1917年、ケベック橋ができるまで、マンハッタンとルーズベルト島の間にあったスパンは、北アメリカで最長の片持ち梁スパンであった。 橋は、2層になっている。最初は、上層は歩行者を収容して、2本の高架鉄道の線路(クイーンズボロ・プラザ高架駅への2番街高架線と接続した)があり、下層は4車線の自動車道、現在の「アウター・ロードウェイ」、歩行者用のトロリーレーン2車線があった。トロリーは橋の途中で停車し、クイーンズとマンハッタンの乗客を繋いでおり、ルーズベルト島へエレベーターまたは階段で下りることができた。橋で運営されたトロリーは、1957年4月7日まで運行していた。鉄道は、2番街高架線と同様に、1930年代後半から1940年代前半にかけて撤去された。トロリー・レーンと橋の中間駅(階段)も、1950年代に撤去され、橋の自動車用の車線の11車線となった。 料金は、自動車が橋を通過する場合には、課されていない。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「クイーンズボロ橋」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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