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横浜みなとみらい21(よこはまみなとみらい21、Minato Mirai 21)は神奈川県横浜市の西区と中区にまたがり〔西区ではみなとみらい、高島の一部、中区では新港、桜木町の一部、海岸通の一部(象の鼻パークのみ)が当地区に含まれている。〕、横浜港に面している地域である。略称は、「みなとみらい21」、「みなとみらい」、「MM21」など。都市景観100選受賞地区。さらに細かい区分として、ランドマークタワーや日産本社ビルなどがありオフィスビル開発を推進する「中央地区」と赤レンガ倉庫やコスモワールド〔観覧車「コスモクロック21」などがあるみなとみらいの15街区に該当する。なお、コスモワールドは中央地区にあたる同23街区にまたがって運営されている。〕などがある「新港地区」、そごうやスカイビルがある68街区の「横浜駅東口地区」(出島地区)に分けられる〔。当地区全体の面積は約1.86km²(約186ha)、そのうち埋め立て部は約0.76km²(約76ha)である。 みなとみらい中央地区の広範囲における町名、住所表記としてもみなとみらいが使用されている。また、2009年4月に設立された一般社団法人横浜みなとみらい21は、同地域における土地や建物の所有者、施設の管理・運営者などによって構成され、街づくりの企画・調整、プロモーション活動などを行っている〔一般社団法人横浜みなとみらい21のご案内 (横浜みなとみらい21公式ウェブサイト)〕。前身は横浜市、神奈川県、独立行政法人都市再生機構(UR都市機構、旧:都市基盤整備公団)、地権者、地元経済界の出資により作られた第三セクターの株式会社横浜みなとみらい21(同年3月解散)である。 当地区全域は、横浜市における都心(ツインコア)の一つである横浜都心に指定されている〔平成25年(2013年)3月発行。編集・発行、横浜市都市整備局企画部企画課。〕。また、2014年度に策定された「横浜市都心臨海部再生マスタープラン」では「みなとみらい21地区」として、都心臨海部五地区のうちの一つに指定されている〔横浜市都心臨海部再生マスタープラン (横浜市都市整備局 2014年3月20日作成、2015年2月23日更新、2015年3月4日閲覧 (同日付のウェブ魚拓キャッシュ ))〕。この他、みなとみらい中央地区は「横浜都心・臨海地域」として、都市再生特別措置法による特定都市再生緊急整備地域に指定されている〔横浜市の都市再生の取組について (横浜市都市整備局)〕。 == 概要 == みなとみらい地区は、横浜都心部の一体化と強化をめざしたウォーターフロント都市再開発として建設されている街である。1980年代に再開発が行われる以前は、当地に三菱重工業横浜造船所、国鉄高島線(貨物支線)の東横浜駅および高島駅・高島ヤード(操車場)、高島埠頭、新港埠頭などがあった〔みなとみらいは昔、どんなところだったの? (はまれぽ.com 2012年9月5日)〕〔横浜機関区の終焉 (レールメカの巣 ''2012年10月'')〕〔高島埠頭の市営上屋 (週刊 横濱80's ''2013年5月19日'')〕。 飛鳥田一雄横浜市長が1963年に当選し、横浜の五重苦と呼ばれていた関東大震災〔火災により市内全域が灰となった〕、昭和恐慌、太平洋戦争による空襲、連合国軍最高司令官総司令部による占領と市内都心部の接収、および人口急増によるスプロール現象を克服することが、地域としての大きな課題となっていた。そのため1965年に横浜市六大事業が提案され、都心部強化として三菱重工業横浜造船所、国鉄高島線の東横浜駅(貨物駅)・高島ヤード(操車場)、高島埠頭、新港埠頭の一帯を再整備し横浜駅周辺と関内・伊勢佐木町という二つに分断された横浜都心部を一体化させる「都心部強化事業」として、就業人口19万人・居住人口1万人を目標とした事業計画が打ち出された。 これは横浜市において、二つに分断された都心を一体化させ都市機能を充実し、昼間人口や就業人口を増やすことで市内経済の活性化を目指し、地域社会の成長をめざした施策である。また東京都心一極集中から首都圏での展都という趨勢の中で、東京都心の負荷を軽減し、神奈川県の経済拠点として首都圏経済を牽引する役割を分担し、企業法人本社機能や事業所等の立地促進、企業法人の集積の波及として起こる中小企業の活性化や、新規起業者の増加などを目指している。以降、オイルショックを始めとする経済情勢の影響などにより計画が暫く進行していなかったが、1979年に細郷道一横浜市長のもとで「横浜市都心臨海部総合整備計画」基本構想が発表され、三菱重工業横浜造船所等の移転完了と共に1983年に「みなとみらい21」事業としてようやく着工に至った。 当地区の中核には、高さ296mの当時日本一高いビルの横浜ランドマークタワーがある。ランドマークタワー横の「ドックヤードガーデン」は、造船所で実際にドックとして使われていたもので、1997年(平成9年)12月に国の重要文化財に指定されている。1911年と1913年にそれぞれ竣工した新港地区の横浜赤レンガ倉庫(1号館・2号館)は5年以上かけて修復工事および周辺の整備が行われ、2002年に赤レンガパークとしてオープン、現在では横浜を代表する観光スポットとなっている。また、2004年にはみなとみらい線が開通し、当地区でも新高島駅、みなとみらい駅が開業した。さらに2010年、横浜国際平和会議場(パシフィコ横浜)にてアジア太平洋経済協力首脳会議(APEC)が開催された。 当地区の整備は、あらかじめ決められた基本的方針によって計画的に行われており、「21世紀にふさわしい未来型都市」を目指して開発が進められている。電線・電話線(光ファイバー)は共同溝により、上下水道などと一緒に埋設され、さらに共同溝によるごみ集積(廃棄物管路収集、2017年度末までに廃止予定)〔各施設から投入されたごみは空気の流れを利用した輸送システムにより、みなとみらい21クリーンセンター(31街区)内の廃棄物管路収集施設に一元集積される。道路上にごみを置く必要がなく衛生面や街の美観に貢献していたが、2000年代に入ると採算性やごみの分別に不向きなどの問題が顕著となり2010年までの廃止が検討されていた。その後も暫く継続されていたが、2014年1月には横浜市が2017年度末までに廃止する方針を決定した。〕〔〔、地域冷暖房(みなとみらい21熱供給が運営)を導入しており、省エネにも配慮している。また、災害・非常時の対策として臨港パーク、高島中央公園、ヨーヨー広場、カップヌードルミュージアムパーク(新港パーク)の地下に災害用地下給水タンク(4基合わせて約4,500m³ 〔= 約4,500トン。〕、50万人分の飲料水3日分を貯水)が設置されている〔。全ての幹線道路の歩道には街路樹が植えられ(後述)、建設される建物は白を基調(新港地区は茶色系統)とし統一感を持たせている。 当地区の道路は、「みなとみらい大通り」・「国際大通り」の2本の大通り(主要幹線道路)〔みなとみらい大通りは都市計画道路「栄本町線」、国際大通りは臨港幹線道路の一部である。〕と、それらを結ぶ、さくら通り・けやき通り・いちょう通り・すずかけ通り・とちのき通り(幹線道路)で構成されている〔。これらの通りにはそれぞれ四季を代表する種類の異なった街路樹が植えられており、みなとみらい大通りがクスノキ、さくら通りがソメイヨシノ、けやき通りがケヤキ、いちょう通りがイチョウ、すずかけ通りがプラタナス、とちのき通りがベニバナトチノキとなっている(みなとみらい大通りを除き、通りの呼び名は街路樹の種類に因む)〔。また道路とは別に歩行者専用通路として、クイーン軸・グランモール軸・キング軸(整備中)という三つの軸が整備されている(詳細は後述)。一方、横浜港を周回する「臨港幹線道路」の一部として、山内埠頭(コットンハーバー)方面へ至る連絡橋(みなとみらい橋、コットン大橋)が予定より大幅に遅れ2008年12月に開通しており、さらに同道路の国際大通り地下部分にあたる整備計画では、みなとみらい橋手前から横浜ワールドポーターズ付近まで長さ約1.3kmのトンネルが1986年度より着工され、1999年度には既に竣工していたものの交通量が見込めず維持管理費の問題等で長らく供用が延期されていたが、2013年3月に「みなとみらいトンネル」としてようやく開通に至った〔完成は14年前! 横浜・みなとみらいのトンネルがついに開通 ( カーセンサーNews&Topix 2013年4月3日)〕〔国際大通り「みなとみらいトンネル」の開通について (横浜市港湾局 平成25年(2013年)3月1日)〕。この他に今後整備予定の道路として、みなとみらい大通り(栄本町線)の橋で帷子川下流・港湾上に架かるみなとみらい大橋とそごうやスカイビルが建設されている68街区の横浜駅東口地区(出島地区)を結ぶ「栄本町線支線1号」がある〔16年度末までに都計決定/全体構想は年度内策定/横浜駅東口開発 (建設通信新聞 2013年9月20日付:関東面)〕〔将来はTの字型に?? みなとみらい大橋 (みなとみらい線周辺散歩日記 2008年5月31日)〕。 当初は2000年頃までに街全体の完成を目指していたが、経済状態(バブル崩壊)の影響などにより計画が延長されている〔建設グラフ1997年3月号 〕。2000年代より中田宏横浜市長や松沢成文神奈川県知事の積極的な企業誘致とともに、横浜市では企業立地促進条例が制定され、神奈川県もインベスト神奈川を策定し、市税の減額や助成金など企業の負担を軽減する措置により優良な企業立地環境の整備を行っている。2000年代半ばには日産自動車グローバル本社等、多くの企業法人の立地が進んだ。2008年末の世界的な景気後退の影響を受けいくつかのオフィスビル建設計画では中止・延期等もあったが、後任の林文子横浜市長は引き続き企業誘致に向けたトップセールスを行い、上場企業の本社機能立地が着実に進んでいる。 当地区は現在も事業中であり2014年3月末時点の事業進捗率は約84%、暫定利用施設を除く本格利用地区の割合は約65%となっている〔みなとみらい21地区事業の概要:最近の状況「街区開発」 (横浜市都市整備局 2014年3月27日時点のデータ、''2014年3月29日閲覧'')〕〔開業から10周年 みなとみらい線がもたらしたもの (THE PAGE 2014年2月1日)〕〔MM21地区の来街者、最高を更新/横浜 (神奈川新聞:カナロコ 2014年3月12日)〕。近年では、これまで一定期間で打ち切っていた開発事業者の公募を継続して行うようにしたり、横浜市の指定地域における環境アセスメントの緩和(条例改正)などにより開発条件の柔軟性と共に、経済状況に左右されがちだった当地区の開発にスピード性を持たせている。街づくりとしては業務、集合住宅、商業、観光などの用途で集積が進み最終段階に入りつつあるが、今後は未開発の土地が多く残り、2020年に向けて新展示場(MICE施設)の建設も計画されているキング軸(新高島駅周辺〜臨港パークを結ぶ)エリアにおいて、積極的に事業者の公募を行い開発を進めていく方針である。2014年12月時点の就業人口は約98,000人(前年比約5,000人増)と増加傾向にある。さらに首都圏における観光地・行楽地としての人気も高く、同年の年間来街者数は約7,600万人(前年比約400万人増)と1999年の集計開始以降2001年より14年連続で増加を続けている〔みなとみらい21地区 平成26年の来街者数は約7,600万人 (横浜市都市整備局みなとみらい21推進課 平成27年(2015年)3月16日)〕〔MM21来街者7600万人 14年も過去最高更新 (神奈川新聞:カナロコ 2015年3月20日)〕〔「みなとみらい」の人出 過去最高更新 (NHKニュース 2015年3月22日/ウェブ魚拓キャッシュ )〕。一方、当地区内の人口も2015年2月時点で8000人に迫っており〔横浜市統計ポータルサイト 西区町別世帯と人口 (2015年3月30日閲覧)〕、今後も児童数の増加が見込まれることから2018年度〜2028年度の10年間限定で地区内に小学校(横浜市立本町小学校の分離新設校、本町小学校第二方面校(仮称))を開校する予定である〔マンション開発などによる児童数増加で、みなとみらいに10年間限定の小学校ができるって本当!? (はまれぽ.com 2014年8月29日、2014年9月4日閲覧。)〕〔みなとみらい21に10年限定小学校 児童増へ対応 横浜 (MSN産経ニュース 2014年8月30日、2014年9月4日閲覧。)〕〔横浜・MM21に市立小学校新設へ 10年限定 マンション開発で児童大幅増 (神奈川新聞:カナロコ 2014年8月29日、2014年9月6日閲覧。)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「横浜みなとみらい21」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Minato Mirai 21 」があります。 スポンサード リンク
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