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クエンティン・ジェローム・タランティーノ(, 1963年3月27日 - )は、アメリカ合衆国の映画監督。 1990年代前半、入り組んだプロットと犯罪と暴力の姿を描いた作品で一躍脚光を浴びた。脚本も書き、自身の作品に俳優として出演もする。アカデミー脚本賞とカンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞している。 日本での愛称:タラ、タラちゃん。 == 経歴 == === 幼年期 - 青年期 === タランティーノはテネシー州ノックスビルで生まれた。母親は看護師のコニー・ザストゥーピル(旧姓マクヒュー/McHugh)、父親はニューヨーククイーンズ生まれの俳優であり音楽家でもあるトニー・タランティーノ〔トニーが22歳の時に生まれたのがクエンティンだが、実の息子を見ずに離婚。この2人は一度も顔を合わせたことがない。クエンティンが30歳の時に突然、トニーは息子にコンタクトを取ろうとしたが、「30年間も時間があったのに、アイツは一度として俺に電話をよこさなかった。俺が有名になった今頃、連絡を取ろうとあさましい根性が気に食わない」と、日本の雑誌に語っている。40年以上経った今も本人は無視し続けている 。〕。タランティーノの父はイタリア系アメリカ人、母親はアイルランド系アメリカ人でチェロキー族の血も引いていた。母親は僅か16歳で未婚のままタランティーノを生み、彼が生まれてから間もなく音楽家のカーティス・ザストゥーピル(Curtis Zastoupil)と結婚〔継父の人脈はのちのタランティーノにとって大きな強みとなった。〕。以来、タランティーノは実父には一度も会った事がないという。母親も大の映画マニアで、一緒に映画を見て育つ。 1971年、タランティーノ一家はロサンゼルスのサウスベイ地区、エルセグンドに引っ越し、タランティーノはそこでホーソン・クリスチャン・スクール(Hawthorne Christian School)に通った。14歳の時、最初の脚本『ジ・アメージング・アドベンチャー・オブ・ミスター・リー』(The Amazing Adventures of Mr. Lee)を書く。16歳の時にハーバー・シティーのナーボン高校(Narbornne High School)を中退し、ジェームス・ベスト(James Best)劇団に加わり演技を学んだ。このときの経験は後の監督・脚本家・俳優人生において大きな意味を持つことになった。 22歳の時にマンハッタン・ビーチのビデオショップ「マンハッタン・ビーチ・ビデオ・アーカイブ」(Manhattan Beach Video Archives)の店員となり、ロジャー・エイヴァリーや客と様々な映画について語る日々を過ごす。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「クエンティン・タランティーノ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Quentin Tarantino 」があります。 スポンサード リンク
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