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クエルナバカ大聖堂 : ミニ英和和英辞書
クエルナバカ大聖堂[どう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

大聖 : [たいせい]
 (n) great sage
大聖堂 : [だいせいどう]
 (n) cathedral
: [ひじり, せい]
  1. (pref) saint 2. st.
聖堂 : [せいどう]
 【名詞】 1. (Confucian) temple 2. church 3. sanctuary 
: [どう]
  1. (n,n-suf,n-pref) (1) temple 2. shrine 3. hall 4. (2) prefix to building meaning "magnificent" 

クエルナバカ大聖堂 : ウィキペディア日本語版
クエルナバカ大聖堂[どう]

クエルナバカ大聖堂 () と呼ばれる聖母被昇天大聖堂 () はカトリック教会のクエルナバカ教区の教会(司教座聖堂)で、メキシコモレロス州クエルナバカに位置する。この教会とそれを取り巻く修道院は、16世紀前半にポポカテペトル山周辺に建築された修道院群の一つであり、その初期には後の先住民に対する宣教活動のために建築された。18世紀より修道院の教会群は都市の教区教会の機能をもちはじめ、19世紀後半には司教座聖堂に昇格された。他のメキシコの大聖堂と異なりこの大聖堂は都市の中央広場に面していないが、ちょうど南に位置し敷地内の他の修道院建築群と共に自らの壁で囲まれている。これらの建築群の中でも重要な教会である大聖堂ではいくつかの改修計画が持ち上がっており、最後に起こった改修計画は1957年であった。この改修計画では内装に残されていた古い装飾は取り除かれ、シンプルで現代的なものに置き換えられた。また、この改修作業には、覆われていた17世紀の壁画で、日本で殉教したを含む日本二十六聖人の物語が描かれたの内壁を露にする作業が含まれていた。
==歴史==

この教会はクエルナバカの聖母被昇天修道院()の一部である。いくつかの大きな要塞形式の修道院群のひとつであったこの修道院は、16世紀初頭に現在のモレロス北部でプエブラ州より西に遠く離れたポポカテペトル山近くに建築された。これらの修道院群はの直後、先住民の討伐と宣教のために建築されている。これらの修道院が始めた宣教運動は、南方のオアハカ中央アメリカへ広がり、のちにはヌエバ・エスパーニャ(新イスパニア)の植民地全般に広まった。
1525年、ヌエバ・エスパーニャに訪れたフランシスコ会の最初の12人とその後に新しく到着した数名によりクエルナバカ修道院の共同体は設立された。彼らの中にはアントニオ・マルドナド (Antonio Maldonado) 、アントニオ・オルティス (Antonio Ortiz) 、アロンソ・デ・エレッラ (Alonso de Herrera) 、ディエゴ・デ・アルモンテ (Diego de Almonte) などが含まれた。修道院共同体の元来の目的は地域の先住民への宣教にあり、のちには他のヌエバ・エスパーニャ各地へ向かう宣教師たちへの教育や住居に利用された。ただし、主となる教会と壁に囲まれた中庭は元々からスペイン人と先住民の貴族以外は立ち入り禁止とされていた〔。これらの建築群そのものは、1529年にエルナン・コルテスの妻のフアナ・デ・スニガ・デ・コルテスの土地供与により始まった〔。これはの要請と監修によるもので、ヌエバ・エスパーニャにおいて5番目の建設工事であった。この時期における他の修道院と同様、まだ敵対的な先住民から新規の修道者を守る要請から、高く大きく厚い壁とマーロン〔凸壁のある胸壁部。〕が共に建てられた〔。元来の修道院の土地は現在の建築群を越えて広がっており、大きな庭園や修道士たちへの食料やその他の必要なものを供給するために使われた土地が含まれていた〔〔。
教会を含む建築群は段階的に建築され、それらの改築は16世紀から始まった。1532年には北側の出入口におとめマリアモノグラムが彫られたが、この北側のファサードの竣工を示したものではなく、最もそれらしい説では1574年に完成している。この年に死亡した修道士が食料の貯蔵具合をみるために教会の屋根に登ることに慣れたという話が記録されており、これは先住民の家屋の屋根で行われている作物の乾燥を確認するためであった。この地を訪れた修道士のアロンソは1585年に、建築群は完成し、良い構成で、教会、寮、庭園が含まれていると書き記している。この地での何人かの以前からいた修道士たちの死と退任について同じ修道士が記している。ほとんどの主な教会は、17世紀後半に完成された〔。
しかし、初期の建築から修道院の地上階のアーチに沿って残されている教会の外郭だけは、その後の改築計画の原因となった〔。歴史を通してこれらの教会建築物群、特に主となる教会は、何度か改装された。これは宣教運動の重要な拠点というだけではなく、のちには大聖堂になった教区教会としての重要性によるものでもあった。この大聖堂を含む14の初期修道院建築群は世界遺産に登録されたが、この大聖堂はその中でも建築されてから大規模な改修を経験した唯一のものである〔〔。
17世紀にも教会への改修が施された。始まりは、2つのチャペルの建設で、これにはラテン十字を配置するための設計がなされた。この時、クワイヤにはとおそらくいくつかの部位もまた同様に追加された〔。1713年には“liternilla”と共にアーチ形の天井と鐘楼が建築物の南東の角に追加された。簡素であったこれまでの過去の改装と異なり、これらはバロック式で建築され通例通りの複雑な装飾が施された。鐘楼の足元には時計が置かれた。この時計はフランシスコ会の神父がのために組み上げたもので、16世紀にカール5世からエルナン・コルテスに下賜されたものであった〔。
18世紀中頃には、内装が改装され全ての形式の宗教的芸術作品による装飾が大いに追加された。これには銀などの高価な素材により作られたものも含まれた。これはクエルナバカの都市の教区教会の機能を持ちはじめたのと同時期のことであった〔。
修道院であり教区教会でもある建物と土地は19世紀に改革(レフォルマ)法によりメキシコの多くの修道院と女子修道院が没収・閉鎖されるまで同じままで残された。聖母被昇天 (La Asuncion de Maria) 修道院は閉鎖され、現在残されているものを除いてその多くの土地と建築物を失った〔。現在のロバート・ブラディ美術館〔Robert Brady (1928–1986) アメリカ出身の芸術家。〕は修道院建築群のかつての部分のうちの一つである。1882年、地震により塔の上部が崩壊した。神父のビセンテ・サリナス・イ・リベラス (Vicente Salinas y Riveras) に要請されホセ・ゴンザレス・ベラウサラン (José Gonzaléz Belauzaran) の監修によって再建された〔。
1891年、レオ13世によりモレロス地域を管理するクエルナバカ教区(司教区)が確立され、教区(小教区)教会であった聖母被昇天 (Nuestra Señora de la Asunción) 教会はクエルナバカ大聖堂と変更された。最初の司教はフォルティノ・イポリト・ヴェラ (Fortino Hipólito Vera)であった。20世紀初頭、メキシコ革命中にカランサ派の将軍であったにより建造物群の一部が本部として利用された〔。
20世紀半ばには、この教会は金で装飾されたチュリゲーラ様式の主祭壇とそれに連なる2つの側祭壇及びその柱頭と列柱に聖母マリアの木製の彫刻を含む、かつての豊かな装飾を残していた。これらの柱頭の一つは、クエルナバカにおいての最初のミサを祝った場所に関連したものとして重要であった〔。しかしながら、1957年には大聖堂は連邦政府により、新たに大規模な改築を施工されることとなった。この内いくつかの作業は各構成部の元々の状態への復元から成っており、復元には修道院の庵室、食堂、図書室、通廊が含まれた〔〔。また、いくつかのバロック式の要素が鐘楼に追加された〔。しかし、最も大きな変更は主教会の内装であった。主身廊のほとんどの壁を覆う漆喰の外側の層は除去され、18世紀頃の壁画作品が露出された。この作品は長崎において十字架刑にかけられ殉教したと他の宣教師たちの物語を伝えるものである〔。特に主祭壇の領域を中心に、チュリゲーラ様式の祭壇と他の古い構成物は概ね撤去されシンプルで現代的なものに置き換えられた。撤去された古い装飾は敷地内の(美術ホール)に置かれたが、一般公開されていない〔。
1994年、大聖堂とそれを構成する一連の建造物はポポカテペトル山腹の16世紀初頭の修道院群の一部としてユネスコ世界遺産に登録された〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「クエルナバカ大聖堂」の詳細全文を読む




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