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クシシュトフ・キエシロフスキー : ミニ英和和英辞書
クシシュトフ・キエシロフスキー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

クシシュトフ・キエシロフスキー ( リダイレクト:クシシュトフ・キェシロフスキ ) : ウィキペディア日本語版
クシシュトフ・キェシロフスキ[ちょうおん]

クシシュトフ・キェシロフスキKrzysztof Kieślowski, 1941年6月27日 - 1996年3月13日) は、ポーランド映画監督。晩年はフランスでも活動した。
== 来歴 ==
1941年6月27日ワルシャワで生まれた。エンジニアだった父の仕事の影響で、幼少期は小さな街を転々とする生活を送った。16歳の時に消防士の養成学校に通っていたが、3ヶ月で退学。その後、舞台演出家を志し、1957年にワルシャワの演劇専門学校に入学した。在学中に映画監督への道を志し、卒業後にロマン・ポランスキーアンジェイ・ワイダなどを輩出したウッチ映画大学に入学した。
1966年に初の短編映画を製作。以後、1980年までにドキュメンタリーを中心に21本もの短編映画を製作した。1976年、初の長編劇映画『傷跡』を発表。1979年の2作目『アマチュア』は同年のモスクワ国際映画祭で金賞を受賞。翌1980年にはシカゴ国際映画祭でゴールデン・ヒューゴ賞を受賞した。同作はクシシュトフ・ザヌーシの『保護色』(1977年)などとともに、当時のポーランド映画界における「モラルの不安の映画」の代表作とされている。1981年の『偶然』は検閲による上映禁止処分を受け、6年後の1987年に公開された。
その後、1989年から1990年にかけて、聖書十戒をモチーフとした10編からなるテレビシリーズデカローグ』を製作。第46回ヴェネツィア国際映画祭で国際映画批評家連盟賞を受賞し、スタンリー・キューブリックから激賞された。また、『デカローグ』が完成する前の1988年には同作の5話と6話を劇場公開用に再編集した『殺人に関する短いフィルム』と『愛に関する短いフィルム』(1988年)を発表。前者は第41回カンヌ国際映画祭審査員賞と国際映画批評家連盟賞を、第1回ヨーロッパ映画賞では作品賞を受賞。後者はサン・セバスティアン国際映画祭審査員特別賞、サンパウロ国際映画祭観客賞を受賞した。
1991年、ポーランドとフランスを舞台に名前や容姿が全く同じ二人の女性ベロニカの運命を描いた『ふたりのベロニカ』を発表。第44回カンヌ国際映画祭で自身二度目となる国際映画批評家連盟賞を受賞したほか、主演のイレーヌ・ジャコブが同映画祭女優賞を受賞した。
1993年からはフランス政府の依頼を受け、フランス国旗三色をモチーフに、それぞれの色が象徴する「自由・平等・博愛」をテーマとした『トリコロール三部作』を製作。同年、自動車事故で夫と娘を亡くした女性の絶望と再生を描いた1作目の『トリコロール/青の愛』を発表。第50回ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を受賞し、主演のジュリエット・ビノシュにも同映画祭女優賞をもたらした。翌1994年の2作目『トリコロール/白の愛』は第44回ベルリン国際映画祭監督賞を受賞。同年に再びイレーヌ・ジャコブを主演に迎えた3作目『トリコロール/赤の愛』は第47回カンヌ国際映画祭に出品され、世界三大映画祭全てでの受賞が期待されたが、無冠に終わった。『トリコロール/赤の愛』では三部作を締めくくるような運命的なラストが描かれている。
その後、一時は映画監督を引退することを宣言。演劇学校で新人俳優の指導に当たるが、1995年に復帰を宣言。ダンテの『神曲』をモチーフにした「天国・地獄・煉獄」三部作の脚本に取り掛かった。しかし、1996年3月13日心臓発作で死去した。なお、三部作の脚本の完成部分『天国編』が2002年トム・ティクヴァにより『ヘヴン』として、『地獄編』が2005年ダニス・タノヴィッチによって『美しき運命の傷痕』としてそれぞれ映画化された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「クシシュトフ・キェシロフスキ」の詳細全文を読む




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