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クシシュトフ・ザヌーシ : ミニ英和和英辞書
クシシュトフ・ザヌーシ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

クシシュトフ・ザヌーシ ( リダイレクト:クシシュトフ・ザヌッシ ) : ウィキペディア日本語版
クシシュトフ・ザヌッシ[ちょうおん]

クシシュトフ・ザヌッシKrzysztof Zanussi, 1939年6月17日 - ) は、ポーランド映画監督クシシュトフ・ザヌーシとも表記される。
== 来歴 ==
1939年6月17日ワルシャワで生まれた。ワルシャワ大学物理学を、クラクフのヤゲロニアン大学で哲学を専攻した。
1958年から短編映画を多数製作。その後、1969年に二人の対照的な知識人の生き方を描いた『結晶の構造』で長編映画監督としてデビューした。同作は翌1970年マール・デル・プラタ国際映画祭で脚本賞を受賞した。1970年の2作目『家族生活』(1970年)は翌1971年第24回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門に出品され、シカゴ国際映画祭で審査員特別賞を受賞した。1973年の3作目『''Iluminacja'' (照明)』は同年のロカルノ国際映画祭金豹賞を受賞した。1975年の『''Bilans kwartalny''』は第25回ベルリン国際映画祭で国際カトリック映画事務局賞を受賞した。
1977年の『保護色』はクシシュトフ・キェシロフスキの『アマチュア』(1979年)などと並んで、1970年代後半のポーランド映画界の映画運動である「モラルの不安の映画」の代表作として知られる。同作のようにザヌッシの作品はインテリ層の道徳的ジレンマなどを表象したものが多い。
1980年代に入り、1980年の『コンスタンス』が第33回カンヌ国際映画祭審査員賞を、1982年の『''Imperatyw'' (命令)』が第39回ヴェネツィア国際映画祭審査員特別賞を、1984年の『太陽の年』が第41回ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を受賞した。
1992年の『巨人と青年』からは3作連続で東京国際映画祭に出品され、1996年の『育ちゆく日々』は第9回東京国際映画祭で審査員特別賞を受賞した。
近年も2000年の『''Zycie jako smiertelna choroba przenoszona droga plciowa''』が第22回モスクワ国際映画祭でグランプリを受賞。2005年の『''Persona non grata''』が第62回ヴェネツィア国際映画祭のコンペティション部門に出品されるなど、精力的に活動しているが、日本では第10回東京国際映画祭で上映された『ブラザー・アルバート』以降、劇場公開がされていない。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「クシシュトフ・ザヌッシ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Krzysztof Zanussi 」があります。




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