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クトゥブッディーン・ムバーラク・シャー : ミニ英和和英辞書
クトゥブッディーン・ムバーラク・シャー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

クトゥブッディーン・ムバーラク・シャー : ウィキペディア日本語版
クトゥブッディーン・ムバーラク・シャー[ちょうおん]

クトゥブッディーン・ムバーラク・シャーウルドゥー語:قطب الدین مبارک شاہ‎, ヒンディー語:क़ुतब उद्दीन मुबारक शाह, Qutb-ud-din Mubarak Shah, 1299年年頃 - 1320年7月)は、インド北部を支配したハルジー朝の第5代君主(在位:1316年 - 1320年)。父は第3代君主アラー・ウッディーン・ハルジー
==-生涯==
1316年1月、父アラー・ウッディーン・ハルジーが死亡すると、宰相で宦官のマリク・カーフールに上の兄二人は盲目にされて幽閉され、三男のクトゥブッディーン・ムバーラクもまた同様に幽閉され、危うく盲目にされるところであった〔ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.131〕。
その後、幼い末弟シハーブッディーン・ウマルが傀儡として擁立されたが、2月にマリク・カーフールは専横に反発する貴族に暗殺され、ウマルも廃された。貴族らは幽閉されていたムバーラク・シャーを擁立し、4月14日に彼が即位した〔ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.131〕。
ハルジー朝ではアラー・ウッディーンが強力な指導権の確立のために圧政を行なっていたため、その反動で内紛や反乱が相次いでいた。ムバーラク・シャーはこれを抑えるために大赦を布告したばかりか、父時代の統制の緩和や恩赦を連発したが、かえって王朝にさらなる混乱を招き、社会不安も増大させた〔ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、pp.131-132〕。
とはいえ、ムバーラク・シャーは父アラー・ウッディーンのような冷酷さを見せ、1316年にヒズル・ハーンシャーディー・ハーン、シハーブッディーン・ウマルの三人を殺害したばかりか、1317年ヤーダヴァ朝の君主ハラパーラデーヴァが反乱を起こした際、その生皮をはぎ取って殺した〔ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.132〕。
また、ムバーラク・シャーは父アラー・ウッディーンがマリク・カーフールを重用したように、自身もヒンドゥー教からの改宗奴隷である ホスロー・ハーン を重用し、彼を総司令官の地位に任命した〔ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.132〕。グジャラート出身の彼は親戚と称して、同地方の低級カーストであるパルワーリを集め、300人を宮殿に引き入れた〔ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.132〕。
1320年7月、ムバーラク・シャーはホスロー・ハーンに殺害され、首のないその死体は中庭に放り投げられたのだという〔ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.132〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「クトゥブッディーン・ムバーラク・シャー」の詳細全文を読む




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