|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
クニグンデ・フォン・エスターライヒ(Kunigunde von Österreich, 1465年3月16日 - 1520年8月6日)は、バイエルン公アルブレヒト4世の妃。 神聖ローマ皇帝フリードリヒ3世と皇后エレオノーレの娘として、ウィーナー・ノイシュタットで生まれた。夫婦の間の5人の子供うち成人したのは、兄マクシミリアン1世とクニグンデだけであった。 1470年、ハンガリー王マーチャーシュに求婚されたが、フリードリヒ3世はこれを拒絶した。クニグンデは父の意に反してバイエルン公アルブレヒト4世と結婚した。夫の死後、長男ヴィルヘルム4世の摂政となった。宮廷から辞した後も、息子達のために政治に介入しようとした。また、兄マクシミリアン1世や、他国にいる縁者と密接に連絡をとっていた。 アルブレヒト4世が死んだ1508年、クニグンデはピュートリヒ修道院に入り、修道女となった。 ==子女== *ジドーニエ(1488年 - 1505年) *ジビュレ(1489年 - 1519年) - プファルツ選帝侯ルートヴィヒ5世妃 *ザビーナ(1492年 - 1564年) - ヴュルテンベルク公ウルリヒ妃 *ヴィルヘルム4世(1493年 - 1550年) - バイエルン公 *ルートヴィヒ(1495年 - 1545年) - バイエルン公 *ズザンナ(1499年 - 1500年) *エルンスト(1500年 - 1560年) - ザルツブルク大司教 *ズザンナ(1502年 - 1543年) - ブランデンブルク=クルムバッハ辺境伯カジミールの妃。後にプファルツ選帝侯オットー・ハインリヒと再婚。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「クニグンデ・フォン・エスターライヒ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|