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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
クニャージ(各国語表記については#語源と派生語参照)とは、9-16世紀の君主制国家・19世紀-20世紀の国家(共にスラヴ人国家が多数であるが、非スラヴ人国家も含む)の君主が冠した称号である。また、高位の貴族に与えられる最高位の称号であった時期もある。西欧・南欧のプリンス系称号(例・英語:prince)、デューク系称号(例・英語:duke)、中欧(旧神聖ローマ帝国領)のフュルスト系称号(例・ドイツ語:)、北欧のコヌング系称号(例・古ノルド語:konungr)と同等視されている。日本語では「公」と訳される。 (留意事項):本頁の「クニャージ」は からの転写であり、他の言語に拠れば別の表記となるが、便宜上「クニャージ」で統一している。 == 特徴と変遷 == 元来、クニャージとは軍制民主主義制(ru)の部族の長を指す言葉であり、また、一族の年長者を意味していた〔Даль В. ''Толковый словарь живого великорусского языка'' в 4-х т. М., 1956. Т. 2, с. 126; Рабинович М. Г. Очерки этнографии феодального города. М., 1978, с. 228. 〕。後に、クニャージはルーシ等の初期封建制国家の君主を指すようになった。(例・ノヴゴロド公国のノヴゴロド公、ポロツク公国のポロツク公。)初期のクニャージの役割は、軍事面では、部族の軍勢を組織・指揮した。またキエフ・ルーシ期のクニャージは、戦争の際の勇敢さを示せることが非常に重んじられていた。司法面では裁判所の議長を務め、判決に従って罰金(ヴィーラ)を課す役割を担った。宗教面ではキリスト教導入前の祭祀を執り行った。司祭を意味するチェコ語の、ポーランド語のは共にクニャージに由来する言葉である。 クニャージの権力は、初期にはしばしば選挙によって移管されたが、次第に血族内で相続されるようになった、クニャージの座にあった代表的な家系は、ルーシ(ロシア・ウクライナ・ベラルーシ)のリューリク朝、リトアニアのゲディミナス朝・ヤギェウォ朝、ポーランドのピャスト朝、チェコ(ボヘミア)のプシェミスル朝などがある。 また、中世のルーシとリトアニアでは地域の諸公国の中で最も権力を有したクニャージが、ヴェリーキー・クニャージ(大公)の称号を名乗った。たとえばキエフ大公国のキエフ大公、リトアニア大公国のリトアニア大公である。なお、各公国内部の分領公国の君主もクニャージの称号を冠したが、中央集権国家の発展と共に、徐々にこの地の二つの大公国(モスクワ大公国とリトアニア大公国の元に併合されていった。 一方、クニャージ系から、キング系の称号を冠するようになった家系も登場した。このような王にはクロアチア王(925年 - )、ポーランド王(1025年 - )、ボヘミア王(1198年 - )、セルビア王(1217年 - )、ルーシ王(1254年 - )などがある。 近世・近代のロシアでは、18世紀までクニャージの称号は父祖からの相続によってのみ帯びることができたが、18世紀初期より、皇帝が高位の貴族に下賜するようになった。下賜された最初の人物はアレクサンドル・メーンシコフである。本来は独立した国家の君主号であったクニャージが、王よりも下位の公として訳されるのは、この事情によるものである。その後、クニャージの称号は、1917年の政令(ru)によって廃止された。 近世・近代のバルカン半島では、19世紀半ばから20世紀半ばにかけて、元首がクニャージの称号を冠する国家が複数登場した。具体的にはセルビア公国(1817年 - 1882年)、サモス公国(en)(1834年 – 1912年)、モンテネグロ公国(1852年 - 1910年)、大ブルガリア公国(1878年 - 1908年)、アルバニア公国、(1914年 - 1925年)、ピンドス公国・マケドニア公国(1941年 - 1944年)である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「クニャージ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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