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クボタショック
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クボタショック クボタショックは、2005年6月29日に毎日新聞が兵庫県尼崎市の大手機械メーカー・クボタの旧工場の周辺住民にアスベスト疾患が発生しているとの報道〔大島秀利、2005年6月29日(夕刊)、「10年で51人死亡 アスベスト関連病で」、「住民5人も中皮腫 見舞金検討、2人は死亡」『毎日新聞』 〕したのを契機として、社会的なアスベスト健康被害の問題が急浮上してきた現象である。 == 報道までの道のり== 2004年2月7日に日本で初めてのアスベスト被害者団体である「中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会」が結成される〔http://www.chuuhishu-family.net/info/greetings.html 〕 。その結成をラジオ放送で聞いたドキュメンタリー工房のスタッフらが、2004年6月上旬に上記患者団体の関係者に接触を持ったことにはじまる。スタッフらは患者団体の関係者と協力する形で中皮腫の患者と接触を図っていくが、その過程で職業関連上でアスベストを扱ったことがない患者と出会うこととなった。その1人にとあるガソリンスタンドの女性店長の患者がいた。スタッフらが彼女と初めて接触を持った際に、その患者からクボタが原因企業ではないかとう示唆的な訴えがなされた。患者団体関係者がクボタに電話にて労災死亡者数を問い合わせたところ、全69人のうち原因となった尼崎の旧神埼工場が68人と高率であることがわかった。そのような結果も踏まえ、2005年5月28日にドキュメンタリー工房が制作した「終わりなき葬列〜発症まで30年・いま広がるアスベスト被害〜」が朝日放送で放送された。しかし企業名が伏されていたこと、関西ローカル放送に限定されていたことなどもあって大きな反響を生むわけではなかった〔今井明著・『明日をください』出版委員会編、(2006)、『明日をください―アスベスト公害と患者・家族の記録』アットワークス、pp.64-76〕。6月中旬、この放送を見た毎日新聞記者が患者団体の関係者に問い合わせを入れ、取材を始めた。6月30日にクボタから被害者への見舞金の支払いがおこなわれる予定となっていたが、前日にそれを毎日新聞が報道して反響を生み出した〔中皮腫・アスベスト疾患 患者と家族の会 尼崎支部・尼崎労働者安全衛生センター編著、(2011)、『明日への伝言―アスベストショックからノンアスベスト社会へ』、pp.286-288 〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「クボタショック」の詳細全文を読む
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