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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
クライトン・アルベルト・フォントーラ・ドス・サントス(Claiton Alberto Fontoura dos Santos, 1978年1月25日 - )は、ブラジル、ポルト・アレグレ出身のサッカー選手。ポジションはMF(ボランチ)。ドレッドヘアーの風貌がトレードマーク。 == 経歴 == 1998年にSCインテルナシオナルでトップチームデビュー。その後、ブラジルの複数クラブを経て、2001年にスイスの名門、セルヴェットFCへ入団。同年にはUEFAカップにも出場した。 セルヴェットFC退団後は母国ブラジルのクラブへ移籍したが、2004年7月にユース時代から面識のあるネルシーニョ監督の誘いを受け、名古屋グランパスに入団。主力としてチームに大きく貢献した。しかし2005年、ウェズレイ、マルケスなどの外国人ストライカーが退団し、その後成績不振によりネルシーニョ監督が解任されると、得点力不足の切り札としてFWで起用されるようになり、本来のパフォーマンスを発揮できないまま、シーズン終了後に戦力外通告を受け退団、ボタフォゴFRへ移籍した。 その後、CRフラメンゴを経て2007年にアトレチコ・パラナエンセへ入団。アトレチコ・パラナエンセではキャプテンとしてチームを牽引し、2008年はパラナ州選手権における同チームの12連勝に大きく貢献した。同年2月、アルセウの退団によりボランチの補強を急務としていたコンサドーレ札幌からのオファーを受け、再びJクラブに移籍した。 札幌加入は開幕直前のことであり、連携面で不安があったことから開幕数試合はFWとしてプレー。その後は主に本職のボランチとしてプレーしたが、チームに負傷者が続出したこともあったため、状況に応じてFWや攻撃的MFとしてもプレーした。またセットプレー時のキッカーも務め、ダヴィとのコンビネーションで不振に陥るチームにありながら多くのアシストを記録した。しかし、札幌は5試合を残してJ2降格が決定。クライトンも父親の重病に伴い公式戦2試合を残してブラジルへ帰国した。 その活躍から複数J1クラブが興味を示し移籍が確実視されていたが、条件面で他クラブと合意に至らず2009年も札幌でプレーすることが決定した。クライトン自身も札幌には愛着があったらしく、交渉の際も札幌残留を希望し「10万ドル(約900万円)高いクラブがあっても札幌を選ぶ」と述べたとされる〔札幌クライトン、移籍一転残留決定! 日刊スポーツ12月19日 〕。年明け後も古巣、アトレチコ・パラナエンセがクライトン獲得の意向を示し、クライトンの家族もブラジルでのプレーを望んだことから再び移籍が持ち上がったが、札幌側は父親の病状が悪化した際、シーズン中でも帰国を認めるなどの条件を提示。これによりクライトンも札幌残留を決意し、2月に入ってからキャンプに合流した〔クライトンが札幌に残留、2.12合流 日刊スポーツ1月31日 〕。 2009年は外国人ボランチとしてダニルソンが加入し、また、監督に就任した石崎信弘の希望もあって攻撃的MFとしてプレー。背番号10を背負い、チームの中心選手として活躍した。しかし、以前から慢性化していた右足のアキレス腱痛に苦しみ、7月に入り症状はさらに悪化。それでもなお炎症を抑える注射を打って試合に臨むなどしたが〔 札幌クライトン、愛媛戦に強行出場 日刊スポーツ7月8日 〕、チームのメディカル部門から右足アキレス腱の負傷の治療に1~2ヶ月を要すると診断され、またリハビリ期間も含めると今季中の復帰が絶望的となったことで本人とクラブとの間で協議した結果、2009年7月14日、両者の合意のもとで契約解除したことが発表された〔クライトン選手との契約解除のお知らせ コンサドーレ札幌プレスリリース2009年7月14日 〕。なお、その際には他のJクラブへは移籍しないとの覚書を交わしており、怪我の治療後はブラジル国内のクラブを中心に移籍先を探すこととされたが〔札幌クライトン退団、日本人MF補強へ 日刊スポーツ2009年7月15日 〕、札幌退団から12日後には古巣であり前年からオファーされていたアトレチコ・パラナエンセへの入団会見が開かれ〔治療じゃなかった? クライトン速攻古巣復帰 スポーツニッポン2009年7月29日 〕、この事実を知った札幌の石崎監督は「まぁ、そんなもんじゃろう」と苦笑いしながら語った。 2013年3月4日、アレクリンFCに加入した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「クライトン・アルベルト・フォントーラ・ドス・サントス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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