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クライド・ライト : ミニ英和和英辞書
クライド・ライト
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


クライド・ライト : ウィキペディア日本語版
クライド・ライト

クライド・ライトClyde Wright, 1941年2月20日 - )は、アメリカ合衆国テネシー州出身の元プロ野球選手投手)。
== 来歴・人物 ==
カーソン・ニューマン大学で活躍し、ミネソタ・ツインズからドラフト指名され、入団。カリフォルニア・エンゼルス移籍後の1966年6月15日にメジャー初登板。この試合では4安打完投勝利を収め、フルシーズン3年目の1968年には10勝6敗の好成績を残す。
1969年には不調で1勝8敗に終わるが、チームメイトのジム・フレゴシの勧めで現在でいうウインター・リーグに参戦。そこでスクリューボールチェンジアップを習得し、1970年には22勝12敗、防御率2.83の自己最高の好成績を記録し、ア・リーグカムバック賞を受賞。7月3日オークランド・アスレチックス戦ではノーヒット・ノーランを達成したが、これはエンゼル・スタジアム・オブ・アナハイム開場初のノーヒッターとなった。また、2009年終了時点でエンゼルスの球団史上唯一の左腕の20勝投手である。
その後も1972年に16勝17敗、1973年に18勝11敗、1974年に11勝19敗と2桁勝利をあげるが、1974年ミルウォーキー・ブルワーズに移籍、さらに1975年テキサス・レンジャースに移籍し、メジャーでの球歴はここまでで、通算100勝をあげた。
1976年4月28日に読売ジャイアンツに入団が決定し、5月6日に来日して、3シーズンにわたってプレーした。普段は好人物なのだが、気性の激しさから「クレージー・ライト」と呼ばれ、審判や相手打者とケンカするだけでなく、自分のユニフォームを引きちぎってしまった事や、カメラマンのカメラを取り上げて叩き潰してしまった事もあった。
引退後は実業家に転身し、''CLYDE WRIGHT'S TENNESSEE BAR-B-QUE'' を経営。ジャック・ダニエルズを隠し味にしたポークサンドイッチをエンゼル・スタジアム・オブ・アナハイムで販売しており、長蛇の列ができている〔BSベストスポーツ 『KARENレポート:エンゼル・スタジアム・オブ・アナハイム』 NHK BS1、2011年10月1日放送。〕。
息子も元メジャーリーガーのジャレット・ライト(父とは違い、右投げ投手)。1970年にノーヒットノーランを達成した際には、最後の打者フェリペ・アルーを二塁ゴロに打ち取り、エンゼルスの二塁手サンディー・アロマー・シニアがダブルプレイに仕留めた。それから27年後、1997年のワールドシリーズには、ライトの息子ジャレット(投手)と、アロマーの息子サンディー・アロマー・ジュニア(捕手)が所属するクリーブランド・インディアンスと、アルーの息子モイセス・アルーが所属するフロリダ・マーリンズが対戦。マーリンズが勝利した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「クライド・ライト」の詳細全文を読む




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