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クライナ・セルビア人共和国(クライナ・セルビアじんきょうわこく、セルビア語:)は、1990年代の前半にクロアチアの領内で独立を宣言し、事実上独立していた国家。1991年に設立されたが、国際的にはいかなる国家からも承認されていない。その大部分は1995年にクロアチア軍による嵐作戦によって一掃されたが、東スラヴォニアに残された一部は国際連合の監視下で1998年まで東スラヴォニア・バラニャおよび西スレム・セルビア人自治州として存続し、その後平和的にクロアチア領に復した。 == クライナの起源 == 「クライナ」の呼称は、16世紀にハプスブルク君主国内のクロアチアとスラヴォニアの一部から分離され設置された「軍政国境地帯」に由来する。これは、オスマン帝国による拡張に対する防衛上の理由によるものであった。多くのクロアチア人、セルビア人、ヴラフ人が付近のオスマン帝国領のセルビアおよびボスニアから移り住み、また守衛隊のドイツ人の兵士もオスマン帝国との戦いのためにこの地に移った。オーストリア人はこの防衛線地帯をウィーンの軍事司令部から支配し、同地を王領とはしなかった。地域の居住地を支援する幾らかの特別の権利が与えられたものの、不毛で、戦争によって疲弊した土地であった。1869年から1871年にかけて、この軍事支配地域は解体への動きが実現された。1876年11月5日、この地域に住むセルビア人に、クロアチア領となることへ賛同させるため、議会(Sabor)は「クロアチア・スラヴォニア・ダルマチア3重王国は、国内に住むセルビア人およびヴラフ人を、クロアチア人と同等で対等であることを認める。」と厳かに宣言した。その後、1881年に軍政国境地帯は解体され、ハプスブルク帝国内のクロアチアの一部へと再編された。 その後の第一次世界大戦において、かつての軍政国境地帯はユーゴスラビア王国の領土となり、そのほかのクロアチアおよびスラヴォニアのほとんどの地域と共に、同国のサヴァ州の一部とされた。戦間期において、クロアチア、スラヴォニアに住むセルビア人は、ボスニア・クライナ(Bosanska Krajina)や西セルビアのセルビア人とともに、スヴェトザル・プリビチェヴィッチ(Svetozar Pribićević)の指導の下で独立民主党を結成した。新しいユーゴスラビア王国において、クロアチア人とセルビア人の間には同国の政治展望を巡って険しい緊張関係があり、クロアチアの自治を求める訴えは、彼らの指導者で議員のスティエパン・ラディッチ(Stjepan Radić)の暗殺と、セルビア人が支配する治安組織による弾圧によって最高潮に達した。 1939年から1941年にかけて、ユーゴスラビア王国におけるクロアチア人とセルビア人の政治的・社会的な敵対関係を解消するべく、クロアチア自治州が設置され、かつての軍政国境地帯もボスニア・ヘルツェゴビナの一部とともに、その内側へと組み込まれた。1941年、枢軸国はユーゴスラビアを侵攻し、クロアチア独立国が建国された。クロアチア独立国には、現在のクロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナの全域に加え、セルビアの一部(スレム地方)も含まれた。アレクサンダル1世の暗殺などに関わっていたクロアチア人の民族主義組織・ウスタシャは、ドイツによって新しいクロアチア独立国の支配者として導入された。ウスタシャによってセルビア人、ユダヤ人や反対勢力のクロアチア人に対するジェノサイドが実行され、数十万人が殺害された。この間、クロアチア人たちは、支配するウスタシャを支持するか、それに反して共産主義で反ファシズムのパルチザンに協力した。他方、この地域のセルビア人のうち、クニンでは多くがチェトニックに、バニヤ(Banija)やスラヴォニアでは多くがパルチザンに加わった。第二次世界大戦の終わりには、共産主義のパルチザンが支配権を得た。戦後新たに成立したユーゴスラビア連邦人民共和国の構成国・クロアチア人民共和国の一部となった。同国は1963年4月7日、クロアチア社会主義共和国と改称された。クロアチアの自治統治機構はチトーの連邦政府の統制を受けたが、連邦の1965年と1974年の憲法改正はクロアチア領内のセルビア人を含む少数民族の権利を高めた。 1991年のクロアチアの独立宣言に対して、セルビア人が居住するこの地域ではセルビア人クライナが結成された。クライナは次の各地域を含む: * かつての軍事境界線地域の一部、セルビア人が多数派を占める地域。 * ダルマチア北部。かつての軍事境界線には含まれないものの、セルビア人が多数派を占める。 * セルビアと国境を接する地域。セルビア人が大きな少数派となっている地域。 ただし、かつての軍事境界線地域の少なくない一部は、クライナ・セルビア人共和国には含まれていない。クロアチア人が多数派を占めるリカ (クロアチア)(Lika)や、ビェロヴァル(Bjelovar)、中部および南東部スラヴォニアは、クライナ・セルビア人共和国には含まれていない。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「クライナ・セルビア人共和国」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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