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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
クラウディオ・パウル・カニーヒア(、1967年1月9日- )は、アルゼンチン出身の元サッカー選手であり、元同国代表。ポジションはフォワード。 スペイン語読みは「カニーヒア」だが、イタリア系アルゼンチン人である本人は、イタリア語読みの「カニージャ」を好み、メディアにもそう呼んでほしいと主張していた。 == 経歴 == 1985年に、リーベル・プレートから国内リーグにデビュー。その後欧州に渡るが、癇癪持ちの性格からか行く先々でトラブルメーカーとなり、クラブレベルではあまり名声を得ることが出来なかった。 代表では1987年にイタリア戦でデビューし、同年母国で行われた南米選手権で活躍。その後、1990年のワールドカップ・イタリア大会での準優勝、1991年の南米選手権・チリ大会優勝時等のメンバーとなっている。ディエゴ・マラドーナと数多くの大会で2トップを組み、「マラドーナの恋人」と呼ばれるほど高い連携を見せた。W杯イタリア大会決勝トーナメント1回戦のブラジル戦では、マラドーナのスルーパスから、W杯で初めてブラジルを破るゴールを挙げている。 ワールドカップには、1994年のアメリカ大会へも出場したが、1998年のフランス大会は代表落ちした。当時の代表監督は、長髪禁止令で物議を醸したダニエル・パサレラであり〔仲の良いフェルナンド・レドンドも、それを起因としてパサレラと衝突していた。〕、その落選も「短髪を拒否した為」とされることが多いが、実際は1996年4月のボリビア戦を最後に、元々代表からは遠ざかっていた。また、後述の「値札張替え事件」も大会直前に起こしている。 その後不遇を託つ時期が続いたが、2001-02シーズンにレンジャーズへ移籍すると、エースとしてチームを優勝に導く活躍を見せた。このことが認められ、2002年2月には久々に代表復帰。更にはワールドカップ・日韓大会のメンバーにも選出され、周囲を驚かせた。しかし出場機会がないまま、スウェーデン戦ではベンチから暴言を吐き退場。試合に全く出場しないまま、退席処分を受けるという珍記録を作ってしまった。 2003年にカタールに移籍。2005年を最後に現役を引退した。 しかし2012年イングランド9部リーグ・ウェンブリーFCに選手として加入、現役復帰を果たした。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「クラウディオ・カニーヒア」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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