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クラスヌイ・ホルム(, Krasny Kholm)は、ロシアのトヴェリ州北東部にある都市。街の名は「赤い丘」の意味。人口は2002年全ロシア国勢調査で 6,396人(1989年調査では7,900人)。 州都トヴェリからは北東へ175km。モロガ低地に位置し、ヴォルガ川支流のネレディナ川とモゴチャ川が流れる。またモスクワからサヴョロヴォ・ソンコヴォを経てきた鉄道が通り、この50kmほど北でヴェシエゴンスク行きとペストヴォ-サンクトペテルブルク行きに分かれている。東には人造湖ルイビンスク湖とルイビンスク市がある。 == 歴史 == クラスヌイ・ホルムは1518年にスパス=ナ=ホルム(、丘の上の救世主(聖堂))の名で文献に初出する。この村は、1764年に世俗化されるまで近くのアントニエフ・聖ニコラス修道院の領地であった。17世紀初頭の動乱時代にはポーランド・リトアニア共和国軍により修道院も村も破壊された。1776年には市として認められ、現在の名になった。1899年にはサンクトペテルブルクからクラスヌイ・ホルム、ソンコヴォを経て東のルイビンスクまでの鉄道が開通し、クラスヌイ・ホルムは物産の集積地として栄え開発が進んだ。 町から数kmのモロガ川沿いには、町の誕生のもとになったアントニエフ修道院の廃墟が建つ。この修道院の聖堂は1481年、モスクワ大公ヴァシーリー2世の第三子アンドレイ・ボルショイにより建設がはじめられ、1493年に献堂されその半世紀後に石灰岩で建て直された。トヴェリ州内最古の建物の一つであるこの聖堂はソビエト連邦時代に破壊された。聖堂は屋根を失い廃墟となったが、荒廃した外壁が今も建っている。修道院のその他の聖堂や建物は16世紀から17世紀に遡るが、いずれも完全に破壊されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「クラスヌイ・ホルム」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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