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クリスザブレイヴは日本の競走馬、種牡馬。おもな勝ち鞍は2001年の富士ステークス。大種牡馬ノーザンテースト産駒の活躍馬としては最後期にあたり、ノーザンテースト最後の大物と言われた。 == 戦績 == 1996年10月の新馬戦でデビュー。後のフェアリーステークス優勝馬で、ヒシアマゾンの半妹であるヒシナイルを相手に3馬身半差で快勝している。続く百日草特別にも勝利し、一躍注目株となる。ノーザンテースト最後の大物というフレーズが使われ始めたのもこの頃である。朝日杯3歳ステークスでは1番人気に支持されたが、15着と大敗。その後骨折が判明し、長期休養に入った。約1年後の1998年5月に復帰するものの、2戦走ったところで再び脚部不安を発症、再度の休養を余儀なくされる。 1年後の1999年6月に復帰。復帰初戦こそ3着に敗れるが、その後4連勝。3連勝目のニューマーケットカップでは中山競馬場芝2000mのレコードタイムを記録している。次走天皇賞(秋)で約3年振りにGIに挑戦するが16着と大敗。その後はオープン特別を2勝、中山金杯でも3着と好走していたが、中山記念6着の後今度は屈腱炎を発症、3度目の長期休養を強いられることとなった。 前走から1年半後の2001年8月の関屋記念で復帰。9頭立ての8番人気と人気はなかったが、マグナーテンの2着と好走した。続く京成杯オータムハンデキャップでもゼンノエルシドの2着に入り、さらに富士ステークスではマグナーテンやダイタクリーヴァを下して初重賞制覇を成し遂げた。この勝利により父ノーザンテーストは1977年産から1996年産まで20世代連続の産駒重賞制覇という快挙を達成している。また、これがノーザンテースト産駒の平地重賞最後の優勝である。その後マイルチャンピオンシップ8着の後屈腱炎が再発し、引退した。 デビューから引退まで約6年が経過したが、そのうち4年を故障による休養に費やしている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「クリスザブレイヴ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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