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クリスティ・ボーグルト(Kristie Boogert, 1973年12月16日 - )は、オランダ・ロッテルダム出身の元女子プロテニス選手。1994年の全仏オープン混合ダブルス部門で、同じオランダのメノ・オースティングとペアを組んで優勝した。2000年シドニー五輪の女子ダブルスで、ミリアム・オレマンスとペアを組んだ銀メダル獲得もある。WTAツアーでシングルスの優勝はなかったが、ダブルスで3勝を挙げた。自己最高ランキングはシングルス29位、ダブルス16位。身長178cm、体重64kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。 == 来歴 == ボーグルトはひとりっ子として生まれ育ち、1991年7月にプロ入りした。1993年から女子テニス国別対抗戦・フェドカップのオランダ代表選手になり、現役引退する2003年までフェド杯代表の座を維持した。プロ入り3年目の1994年、ボーグルトは全仏オープンの混合ダブルスで活躍した。オランダの先輩選手、メノ・オースティングとペアを組んだ20歳のボーグルトは、決勝でアンドレイ・オルホフスキー(ロシア)&ラリサ・ネーランド(ラトビア)組を 7-5, 3-6, 7-5 で破り、この地で栄冠を獲得した。 全仏混合ダブルスで優勝した後、ボーグルトはウィンブルドンで1994年-1996年の3年連続で3回戦に進出した。全豪オープンでも1995年-1997年まで3年連続の3回戦進出がある。1996年ウィンブルドンの3回戦では、第12シードの伊達公子に 6-2, 4-6, 2-6 の逆転で敗れたこともあった。1997年全豪オープン3回戦でサビーネ・アペルマンス(ベルギー)に敗れた後、ボーグルトはしばらく好成績がなかった。それから3年後、2000年の全米オープンで久々の3回戦に進出する。この大会では、ボーグルトは1回戦でミリヤナ・ルチッチ(クロアチア)に競り勝ち、2回戦では杉山愛に 6-3, 6-4 で快勝したが、3回戦でサンドリーヌ・テスチュ(フランス)に 0-6, 1-6 で完敗した。結局、ボーグルトは4大大会の女子シングルスでは4回戦以上に進出できなかった。 2000年全米オープンでテスチュとの3回戦に進出した後、クリスティ・ボーグルトはシドニー五輪の女子ダブルスで銀メダルを獲得した。シングルスでは2回戦でロシア代表選手のエレーナ・デメンチェワに敗れたが、ミリアム・オレマンスとペアを組んだ女子ダブルスで決勝に進出する。2人は準決勝でベラルーシ代表のナターシャ・ズベレワ&オリガ・バラバンシコワ組を破ったが、決勝ではビーナスとセリーナのウィリアムズ姉妹組に 1-6, 1-6 で完敗した。ボーグルトとオレマンスはオリンピックのオランダ代表選手として、史上初めてのテニス銀メダルを獲得した。 現役最後の年となった2003年、ボーグルトは4大大会のシングルスではすべて予選1回戦敗退に終わり、全米オープンの予選1回戦で敗れたサマンサ・ストーサー(オーストラリア)がシングルス最後の相手になった。ダブルスではウィンブルドンと全米オープンの2大会連続で、1回戦で日本ペアの浅越しのぶ&宮城ナナ組に連敗している。ボーグルトは全米オープンを最後に、29歳で現役を引退した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「クリスティ・ボーグルト」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Kristie Boogert 」があります。 スポンサード リンク
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