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クリスティーナ・ダヴェナ : ミニ英和和英辞書
クリスティーナ・ダヴェナ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

クリスティーナ・ダヴェナ : ウィキペディア日本語版
クリスティーナ・ダヴェナ[ちょうおん]

クリスティーナ・ダヴェナCristina D'Avena, 1964年7月6日 ボローニャイタリア)は、イタリアのアニメソング歌手女優。彼女が歌ったイタリア語によるアニメソングアルバムは、イタリアでは600万本以上のセールスを記録している。
彼女は、いくつもの日本のアニメのイタリア語版の主題歌を歌っている。これらの主題歌は、日本のものとは違い、イタリアで新たに作詞・作曲されたものである。また、日本のアニメのみならず、アニメ全体ではおよそ120もの主題歌やテーマソングを歌っている。
また、彼女は女優としても、いくつかのテレビドラマに出演している。2008年現在、イタリアのエミリア=ロマーニャ州に在住。
== 経歴 ==
クリスティーナ・ダヴェナは1964年7月6日に、プッリャ州出身の父アルフレード、マルケ州出身の母オルネラとの子として生まれる。1968年、3歳の頃にゼッキーノ・ドーロ(イタリアの子供の歌のコンテスト)で「Il valzer del moscerino」(羽虫のワルツ)を歌い、3位入賞。その後は12歳までボローニャのアントニアーノ児童合唱団 で活動した。
1981年、アントニアーノ児童合唱団を退団し、イタリアテレビ局「カナーレ5」でGiordano Bruno Martelliのプロデュースでソロデビューする。クリスティーナは17歳の高校生歌手として彗星のようにデビュー、翻訳ソングの歌手としての活躍が始まる。シングルを45曲発表し、大反響を呼んだ。アルバムも数々発表し、合計500万部を売り上げた。
1986年秋から、日本マンガ「愛してナイト」をリメイクしたイタリアの実写テレビドラマ「Love me Licia」(1986年), 「Licia dolce Licia」(1987年)、「Teneramente Licia」(1987年)、「Balliamo e cantiamo con Licia」(1988年)の歌手をつとめ、子供向け番組の歌手として人気を集めた。ドラマはイタリアチャンネル1 (it) で月曜、水曜、金曜の20時から放映され、高い視聴率を記録した。ドラマに登場するバンド「ビーハイヴ」 (Bee Hive) はイタリア、スイス、ユーゴスラビア、マルタの10代の少年少女の人気を獲得した。イタリアチャンネル1は1988年にLiciaシリーズが終わってからも、医科大学に進学して忙しい彼女を歌手として活用した。ドラマの最終回「リシアと踊り、歌う」では同名のバンド歌手「クリスティーナ・ダヴェナ」として出演もしている。
数ヵ月後、新ドラマ''Arriva Cristina'' (1988)に女優として出演し、''Cristina'' (1989)、''Cri Cri'' (1990)、''Cristina, l'Europa siamo noi'' (1991)というシリーズとなった。1990年の''Cristina, l'Europa siamo noi'' (1991)から、放送局がイタリアチャンネル1からRete4に変わり、放送時間も19時から20時に変更となった。ドラマの挿入歌はFive Record (現RTI Music/RTI s.p.a.)からアルバムとして発表され、いくつかはベストセラーとなった。1989年にはイタリア放送局Canale 5で、Gerry Scotti司会の少年向け番組「Sabato al circo(土曜サーカス)」にレギュラー出演している。この間、クリスティーナはイタリアで数々のコンサートを公演する。1989年1990年、ミラノのPalaTrussardiでの公演で観客2万人を動員し、1992年のイタリアアッサーゴ公会堂(客席1万3千、立ち席3千人)でAssociazione italiana per la ricerca sul cancro主催の公演を行っている。
クリスティーナの歌手としての活動は今でも続いており(現在のところ600シングル)、1981年Alessandra Valeri Manera作詞の'' Pinocchio Child ''から数えると25年になる。1980年代にはイタリアのテレビネットメディアセットでValeri Maneraの曲を歌い続け、個人的にも親交が深かったが、2001年に彼女自身が作詞を始めてからは疎遠になりつつある。
2008年、新作の歌やトークを収めたCD付き書籍『Le Fiabe i Fata Cri』が出版され、売れ行きも上々だった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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