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クリスティーヌ・ゴズラン(Christine Gozlan、1958年7月16日 - )は、フランスの映画プロデューサー、実業家である。テルマ・フィルム会長、シネヴァルセ責任者。 == 人物・来歴 == 1958年(昭和33年)7月16日、フランスのイヴリーヌ県ヴェルサイユに生まれる。父はレジオンドヌール勲章シュヴァリエ章受章者のロジェ・ゴズラン、母はシュザンヌ・ゴズランである〔:fr:Christine Gozlan(28 juin 2009 à 22:13版)の記述を参照。〕。 当初、助監督としてキャリアを始め、1975年(昭和50年)、17歳で映画監督ジュスト・ジャカンの助監督となり、同監督の『O嬢の物語』にクレジットされる。その後、製作畑に転向、1977年(昭和52年)映画プロデューサージャン=セルジュ・ブルトンのもとで、クリスチャン・ブリクー監督の『パラディーソ』の製作主任をつとめる。そのころ、映画プロデューサーアラン・サルドと出逢い、1979年(昭和54年)、21歳のころ、サルドのサラ・フィルムに入社、ベルトラン・ブリエ監督の『料理は冷たくして』の製作主任をつとめ、その後、多くの現場を仕切った。 1980年(昭和55年)、ベルトラン・タヴェルニエが監督・プロデュースした『一週間のヴァカンス』で、22歳にして、同作をプロデュースしたサラ・フィルムのエグゼクティヴ・プロデューサーとしてクレジットされた。以降も製作主任として1980年代のサラ・フィルム、レ・フィルム・アラン・サルドの作品を手がけ、1985年(昭和60年)、27歳のときにジャン=リュック・ゴダール監督の『ゴダールの探偵』でプロデューサーと製作主任を兼務している。1987年(昭和62年)のロベール・アンリコ監督の『夏に抱かれて』、1988年(昭和63年)のナディーヌ・トランティニャン監督の『翡翠の家』からはプロデューサーに本格的に昇格したが、その後も製作主任として現場に立つことをつづけた。 1990年代を通じて、レ・フィルム・アラン・サルドのエグゼクティヴプロデューサーとして、ゴダールをはじめジョルジュ・ロートネル、アラン・コルノー、フィリップ・ド・ブロカ、ジョゼ・ジョヴァンニといったヴェテラン監督の作品や、ニコール・ガルシア、ノエミ・ルヴォウスキ、クリスティーヌ・カリエールら女性監督の作品を手がけ、ジャック・ドワイヨンの監督作品を多く手がけた。1997年(平成9年)にはヴァランシエンヌ映画祭プロデューサー賞を受賞した。 2000年(平成12年)、映画製作会社シネヴァルセのCEOに就任する。2004年(平成16年)、当時24歳のプロデューサーダヴィッド・ポワロとともに映画製作会社テルマ・フィルムを設立、社長に就任した〔#外部リンク欄、テルマ・フィルム公式サイトのリンク先記述を参照。二重リンクを省く。〕。同社では、とくに新人監督の発掘と支援を手がけている〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「クリスティーヌ・ゴズラン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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