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クリスティーヌ・ド・ロレーヌ : ミニ英和和英辞書
クリスティーヌ・ド・ロレーヌ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

クリスティーヌ・ド・ロレーヌ ( リダイレクト:クリスティーナ・ディ・ロレーナ ) : ウィキペディア日本語版
クリスティーナ・ディ・ロレーナ[ちょうおん]

クリスティーナ・ディ・ロレーナ(Cristina di Lorena, 1565年8月16日-1637年12月19日)は、トスカーナ大公フェルディナンド1世・デ・メディチの妃。フランス語名クリスティーヌ・ド・ロレーヌ(Christine de Lorraine)。
ロレーヌ公シャルル3世クロード・ド・ヴァロワの娘として、ナンシーで生まれた。
1589年5月、フェルディナンドと結婚。祖母カトリーヌ・ド・メディシスはこの結婚を通して孫娘を動かし、スペインではなくフランスメディチ家の結びつきを強めようとした。
1615年にガリレオ・ガリレイが「クリスティーナ大公妃への手紙」を執筆しており、彼女が科学者との交流を保っていたことがうかがえる。
72歳でフィレンツェで没した。
==子女==

*コジモ2世・デ・メディチ(1590年 - 1621年)
*エレオノーラ(1591年 - 1617年)
*カテリーナ(1593年 - 1629年) マントヴァ公フェルディナンド・ゴンザーガ妃
*フランチェスコ(1594年 - 1614年)
*カルロ(1595年 - 1666年) 枢機卿
*フィリッピーノ(1598年 - 1602年)
*ロレンツォ(1599年 - 1648年)
*マリーア・マッダレーナ(1600年 - 1633年)
*クラウディア(1604年 - 1648年)   



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「クリスティーナ・ディ・ロレーナ」の詳細全文を読む




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