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クリス・アトキンソン
クリス・アトキンソン(Chris Atkinson 1979年11月30日~)はオーストラリア・ニューサウスウェールズ州出身のラリー・ドライバー。やや温厚な人柄でボンド大学卒の商学修士でもある。2008年現在のコ・ドライバーはステファン・プレボ。
==経歴== ラリー一家に生まれながらも、十代の頃のクリスは二輪競技のモトクロスに熱中していた。しかし大学卒業後に彼が地元のラリーへ出場する兄(ベン)の為、コ・ドライバーを引き受けた事が彼にとって大きな転機となった。ステアリングを握りたくなった彼が試しに兄とシートを交替させて貰ってからは、当時目指していた株式仲買人になる事も無くラリースクールに入学。比較的遅めのキャリアスタートながらも順調にステップアップを重ねて、2003年にアジアパシフィックラリー選手権(APRC)のスーパー1600にスズキ・イグニスで参戦、2003年・2004年と年間タイトルを獲得した。 2004年にはAPRC参戦の傍ら世界ラリー選手権(WRC)にステップアップし、ニュージーランド・ラリーにスバルから参戦。2005年からはスバルとWRCシーズンフル参戦の契約を結び、オーストラリア人として初めてのフルタイムWRCドライバーとなった。この年のラリージャパンでは3位表彰台入賞を果たした。2006年はインプレッサの戦闘力が向上せず、この年1度も表彰台に上がることが出来ず最高位はラリージャパンの4位。2007年も表彰台には届かなかったが、そのうち3戦で4位に入っている。2008年は前年フルモデルチェンジしたインプレッサのWRカーがデビュー。この年序盤から表彰台に立つなど初優勝が期待されたが、ランキング5位に終わった。しかし12月16日、スバルが突如WRC撤退を発表。理由は自動車業界に影響を与えている景気悪化だった。 2009年はシトロエンのジュニアチームと契約。アイルランドに出場し5位に入るも、今後のWRC参戦には結びつかなかった。2010年はAPRCに復帰しプロトンに所属。2011年はランキング2位に終わった。2012年はメキシコでモンスター・ワールド・ラリーチームから久々のWRC復帰をするもリタイアとなった。そしてフィンランドではロンドン五輪に出場していたナサール・アルアティヤに替わってカタール・ワールド・ラリーチームから出場。一時8位に付けるもトラブルが多発し総合39位に終わった。しかしドイツからはアルミンド・アラウージョに替わってWRCチーム・ミニ・ポルトガルから終盤の5戦に出場。スバル以来4年振りにレギュラーシートを得た。表彰台には上がれなかったがドイツで総合5位に入った。一方APRCではMRFチームに移籍しシュコダ・ファビア S2000をドライブし念願のチャンピオンを獲得した。2013年はハリド・アル・カシミの代役としてシトロエンワークスのDS3 WRCでメキシコに参戦した。序盤にトラブルで遅れるもその後巻き返し6位を得た。その後は翌年からフル参戦を予定しているヒュンダイにテストドライバーとして契約した。そしてシーズン終了後の12月10日にヒュンダイのドライバーが発表されアトキンソンの加入が決定しスバル以来となるワークス復帰が決定した。2014年はヒュンダイからメキシコ、オーストラリアにスポット参戦。メキシコでは7位に入賞するも8年振りの出場となった母国オーストラリアでは上位入賞が期待されたがポディウム争いには全く絡めず10位に終わった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「クリス・アトキンソン」の詳細全文を読む
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