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クリス・エバート・ロイド : ミニ英和和英辞書
クリス・エバート・ロイド[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

クリス・エバート・ロイド ( リダイレクト:クリス・エバート ) : ウィキペディア日本語版
クリス・エバート[ちょうおん]

クリス・エバートChris Evert, 1954年12月21日 - )は、アメリカフロリダ州フォートローダーデール出身の元女子プロテニス選手。フルネームは ''Christine Marie Evert'' (クリスティン・マリー・エバート)というが、「クリス・エバート」の名前で最もよく知られる。愛称の「クリッシー」“Chrissie”で呼ばれることも多い。父親のジミー・エバートと妹のジャンヌ・エバートも元プロテニス選手である。好敵手であるマルチナ・ナブラチロワとともに、1970年代から1980年代前半の女子テニス界を牽引した。
== 来歴 ==
エバートは全仏オープン女子シングルス「7勝」の大会最多優勝記録保持者であり、4大大会女子シングルス通算「18勝」は、ライバルのマルチナ・ナブラチロワと並ぶ女子歴代4位タイ記録である。彼女はWTAツアーでのシングルス通算勝利数「154勝」の歴代2位記録も保持している。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。
エバートは“アイス・ドール”(氷の人形)というニックネームで呼ばれたが、これは彼女自身が「コート上では凍てついた氷でありたい」と言っていたように、表情を全く変えることなくプレーしていたことからついたものである。この名の通り、冷静沈着で相手に隙を見せず、正確なボール・コントロールに支えられたクレバーなテニスが彼女の強みだった。こうした強みから、彼女は球足の遅いクレーコートを最も得意としていた。クレーコートである全仏オープンで「7勝」の大会最多優勝記録保持者になり、エバート自身もフランスが好きであることから「パリの恋人」とも称されていた。
クリスとジャンヌの姉妹は、元プロテニス選手であった父親のジミー・エバートからテニスを習った。1972年12月21日、18歳の誕生日にプロ入りする。1974年全仏オープンで4大大会初優勝を果たし、続くウィンブルドンも初制覇。この頃ジミー・コナーズ選手と交際したが、婚約破棄に終わる。1975年-1978年全米オープンで大会4連覇を達成した。
1979年4月、エバートはイギリスの男子プロテニス選手であるジョン・ロイドと結婚し、夫の姓を併用して「クリス・エバート・ロイド」(Chris Evert-Lloyd)と名乗るようになった。クレーコート(赤土)「125連勝」の記録も樹立したが、1979年の全仏オープン前哨戦「イタリアン・オープン」の準決勝で、16歳の新星トレーシー・オースチンに敗れて記録が止まる。同年の全米オープン決勝でもオースチンに敗れ、大会5連覇を逃した。
1980年代に入ってからは、エバートのライバルの座をマルチナ・ナブラチロワが占めるようになる。2人は現役生活を通じて「80回」対戦し、最終的な対戦成績はナブラチロワの「43勝37敗」となった。
最後の4大大会優勝となった1986年全仏オープンは「31歳5ヶ月」での制覇で、大会史上3番目の年長優勝記録となった。(最年長優勝記録保持者は1958年の優勝者ジュジャ・ケルメツィで、1948年の優勝者ネリー・アダムソン・ランドリーとエバートはほとんど同年齢であった。)1974年 - 1986年まで「13年連続」での4大大会優勝も女子テニス史上最長記録となる。しかし、ジョン・ロイドと離婚した1987年に連続優勝記録が止まった。この年にシュテフィ・グラフが世界ランキング1位となり、女子テニス界は世代交代期を迎える。離婚後の1988年全豪オープンでエバートは最後の4大大会決勝に進出したが、当時18歳のグラフに 1-6, 6-7 で敗れた。これでエバートの4大大会女子シングルス決勝進出記録は「通算34度」=「18勝16敗」で終わった。決勝進出34度は女子歴代1位記録で、2位はマルチナ・ナブラチロワの32度(18勝14敗)、3位はシュテフィ・グラフの31度(22勝9敗)である。
最後まで“アイス・ドール”のイメージを守り続けたクリス・エバートは、1989年に34歳で現役を引退した。最後の4大大会出場となった1989年全米オープンでは、準々決勝でジーナ・ガリソンアメリカ)に 6-7, 2-6 で敗れた。同年10月に日本東京有明コロシアムで行われた女子国別対抗戦「フェデレーション・カップ」(現在の名称はフェドカップ)でアメリカ・チームを優勝に導いたが、これがエバートの現役最後の試合となった。1995年国際テニス殿堂入りを果たしている。
クリス・エバートはジョン・ロイドとの離婚後、1988年にアルペンスキー選手のアンディ・ミルと2度目の結婚をした。選手引退後、エバートとミルは3人の子供をもうけたが、2006年に再度離婚する。2008年6月、エバートはオーストラリアプロゴルファーであるグレグ・ノーマンと3度目の結婚をしたが、2009年10月に離婚したことを公表した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「クリス・エバート」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Chris Evert 」があります。




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