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クリュシッポス
ソロイのクリュシッポス(クリューシッポス, ギリシャ語:, Chrysippus of Soli, 紀元前280年頃 - 紀元前207年頃)は古代ギリシアの哲学者。クレアンテースの弟子で、その跡を継いでストア派の学頭となった。ストア主義第二の創設者と言われるように、クリュシッポスはストア主義をギリシア・ローマ世界の有力な哲学の1つにした。'', Chrysippus of Soli, 紀元前280年頃 - 紀元前207年頃)は古代ギリシアの哲学者。クレアンテースの弟子で、その跡を継いでストア派の学頭となった。ストア主義第二の創設者と言われるように、クリュシッポスはストア主義をギリシア・ローマ世界の有力な哲学の1つにした。 == 生涯 == クリュシッポスの幼児期についてはあまり知られておらず、わかっていることといえば、タルソス近郊で育ったことくらいである。おそらく、そこで哲学の教えに接したのだろう。相当な遺産があったが法的にそれを失った後、哲学を学ぶためアテナイに移った〔ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』VII.181。ヘカトンの説として〕。それからクリュシッポスは、ストア派の創始者であるキティオンのゼノンに魅了され、クレアンテースの弟子となった。 クリュシッポスは大の討論好きで、弟子たちから引き出した批評のどちら側にも立って議論した。また、1日に500行書かない日は滅多になかったと言われ、700作を越える著書を書いたが〔ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』VII.181。ディオクレテスの話として〕、現存しているのは、キケロ、セネカ、ガレノスなどの後世の著作の中に引用された、ごくわずかの断片だけである。 クリュシッポスは、ロバに葡萄酒を与えた後、その酔ったロバがイチジクの実を食べようとしている様子を見て、笑い死にしてしまったと伝えられているが〔ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』VII.185。184には別の死亡説も紹介されている。〕、この話はどうも眉唾物である〔Peter Bowler and Jonathan Green. ''What a Way to Go, Deaths with a Difference.'' ISBN 0-7537-0581-8.〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「クリュシッポス」の詳細全文を読む
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