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クリヴィチ族 : ウィキペディア日本語版
クリヴィチ族[くりう゛ぃちぞく]

クリヴィチ族(、、)は、6世紀 - 10世紀西ドヴィナ川ドニエプル川ヴォルガ川の三河川の上流域に形成された、東スラヴ民族の部族連合体である。ルーシの史料では『原初年代記』にその名がみられる〔國本哲男『ロシア原初年代記』22頁〕。
クリヴィチ族の居住地域(現在の地理で言えば、南部を除くベラルーシ全域と、ロシアスモレンスク州プスコフ州のあたりに相当する。)は、9世紀頃にキエフ大公国の一部に組み込まれ、11世紀 - 12世紀にはスモレンスク公国ポロツク公国の領域となった。また北西部はノヴゴロド公国に属した。主要都市にはスモレンスクポロツクイズボルスクがあった〔Изборск // Энциклопедический словарь Ф.А. Брокгауза и И.А. Ефрона〕。クリヴィチ族は農耕・牧畜・手工業を営んでおり、民族研究上の仮説の1つによれば、古ルーシ民族(ru)に含まれる。
(留意事項):本文・注釈のキリル文字表記にはロシア語を用いている。(参考文献・出典の書籍名はこの限りではない。)
==起源==
クリヴィチ族は、プスコフ・クリヴィチ族と、ポロツク-スモレンスク・クリヴィチ族の、2つの大きなグループに大別される。比較的よく研究されている、ポロツク-スモレンスク・クリヴィチ族の文化においては、服装にはスラヴの要素を持つ装飾がなされ、バルト人の要素も含んでいる。また、埋葬様式に関しても、バルトの要素が見出される。移住してきたクリヴィチ族は、定住していたバルト人・西フィン人と徐々に同化し、成熟していったことが、考古学上の史料から証明されている。
その移住の過程は、まずネマン川中流域を横切ってプスコフ州に到来し、6世紀の、プスコフ・長形クルガン文化(ru)を形成。後にその中の一部が南進し、スモレンスク州ベラルーシ東部に定住。という説がある。さらに、この移動前の発祥地については、カルパチア山脈とする説と、ポーランド北部とする説がある。
カルパチア山脈とする説は、年代記に基づいて、クリヴィチ族の起源を説明したものである。特に、「ポロチャーネ族(クリヴィチ族の同族である)は、(ドレヴリャーネ族ポリャーネ族ドレゴヴィチ族と共に、)白クロアチア族(ru)セルビア人、ホルタネ族(ru)の中の部族が、6世紀 - 7世紀に、ドニエプル川の上流へと移動してベラルーシ地域に定住した。」という主旨の記述〔〕が根拠となる〔〕。
一方のポーランド北部とする説は、言語学の研究に基づくものである。ノヴゴロドのと古クリヴィチ族方言は、スラヴ語北西方言グループに属しているということが、ロシアの言語学者の比較・分析によって提示されている〔Топоров В. Значение белорусского ареала в этногенетических исследованиях // 〕。この言語学の研究成果を根拠としている。
クリヴィチ()という名称については、歴史学者によって様々な見解が示されている。説の1つでは、クリヴィチ族の先祖の名に由来するとしている。また、バルト人の祭司長を指すクリヴェ()(ru)に由来するという説や、血縁者()、隻眼の・丘の多い(共に)という言葉に由来するという説がある〔〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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