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クルサール国際会議場・公会堂(, , )は、スペイン・サン・セバスティアンにある複合施設。通称クルサール。設計はスペイン人建築家のホセ・ラファエル・モネオ。1999年開館。1,839席のクルサール公会堂、多目的ホール、展示場などを内包している。日本語ではサン・セバスティアン文化会議センターなどとも。 9月のサン・セバスティアン国際映画祭はクルサールを主会場としている。7月のジャサルディア(サン・セバスティアン国際ジャズフェスティバル)は多くのコンサートが建物内のホールや建物外のテラス、クルサールに隣接した浜辺で開催される。 == 歴史 == 1921年、ウルメア川河口に近接し、ラ・スリオラ海岸に面した場所に旧クルサールが建設された。旧クルサールはカジノ、レストラン、映画館、補助客室、859席の劇場を内包していたが、1973年に解体され、Kプロットと呼ばれる空き地となっていた。このような一等地にどんな建築物も存在しないのは奇妙なことだった。 旧クルサールが解体される際には代替施設建設のためのコンペが行われたが、コンペに勝利した計画はその複雑さから建設されることはなかった。1972年には新計画が提案され、何度かの修正後の1975年に建設が開始されたが、周囲壁が完成して基礎が打たれた後に建設工事は中断された。旧クルサールの土地も民間所有だったが、新クルサールの土地も民間企業に譲渡され、新クルサールを建設する目的で公共コンソーシアムが設立された。 1972年の建設計画が破棄された後、Kプロットに大規模な公会堂を建設する計画が浮上。1989年には、マリオ・ボッタ、ノーマン・フォスター、磯崎新、ホセ・ラファエル・モネオ、、ルイス・ペーニャ・ガンチェヒの6人の建築家が公会堂の建設計画を提案し、6計画のうち「浜辺に置かれたふたつの岩」をキャッチコピーとするモネオの計画が採用された。 モネオは1991年から1994年に詳細な計画を策定し、1996年に新クルサールの建設が開始された。建設期間中に建設費が増大したことから資金調達の問題が発生し、建設費の16%を支払うはずのバスク州政府が支払いを拒否した。これらの問題が解決され、建設開始から3年後の1999年に竣工した。2001年にはヨーロッパでもっとも権威ある現代建築賞であるを受賞。サン・セバスティアンの景観はフレンチスタイルの建築を特徴としており、ガラスを使用した湾曲した建物、鋭利な多面構造のクルサールの完成当初は、否定的な意見を持つ市民が多かった。 1999年8月23日に開館し、エウスカディ交響楽団とのコンサートが行われたが、ビルバオでは同時期にビルバオ・グッゲンハイム美術館(1997年10月開館)が建設されており、建設費がクルサールの約2倍だったこともあってクルサールはグッゲンハイム美術館の陰に隠れた形となった。開館当初は市民が新施設に順応する期間が必要だったが、クルサールはサン・セバスティアンに対して経済面、観光面、文化面で良い影響を与えており、多くの市民はクルサールに感謝しクルサールの存在を支持している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「クルサール国際会議場・公会堂」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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