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クルト・ニールセン : ミニ英和和英辞書
クルト・ニールセン[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

クルト・ニールセン : ウィキペディア日本語版
クルト・ニールセン[ちょうおん]

クルト・ニールセン(''Kurt Nielsen'', 1930年11月19日 - 2011年6月11日)は、デンマークコペンハーゲン出身の男子テニス選手。1953年1955年の2度ウィンブルドン選手権の男子シングルス準優勝があり、1957年全米選手権混合ダブルス部門でアリシア・ギブソンとペアを組んで優勝した。男子テニス国別対抗戦・デビスカップデンマーク代表選手としても、1948年から1960年まで13年連続で出場し、デンマーク・チームの歴代1位記録「53勝43敗」(シングルス42勝23敗、ダブルス11勝20敗)をマークした選手である。
== 来歴 ==
ニールセンのデビスカップデビューは、1948年度「ヨーロッパ・ゾーン」1回戦の対エジプト戦であった。1950年デンマークは初めてヨーロッパ・ゾーンの決勝に進出したが、強敵スウェーデンに0勝4敗で完敗し、ニールセンも出場3試合すべてを落とした。1953年ウィンブルドン選手権で、ニールセンに最初のチャンスが訪れる。ニールセンは準々決勝でオーストラリアの新星ケン・ローズウォールを 7-5, 4-6, 6-8, 6-0, 6-2 で破り、準決勝ではチェコスロバキア出身のヤロスラフ・ドロブニーを 6-4, 6-3, 6-2 で圧倒したが、決勝でアメリカビック・セイシャスに 7-9, 3-6, 4-6 で敗れて準優勝に終わった。ウィンブルドン選手権の終了直後、デビスカップでデンマークは3年ぶり2度目のヨーロッパ・ゾーン決勝に進出し、地元デンマークの首都コペンハーゲンベルギーと対戦した。ニールセンはシングルス2試合に勝利したが、トルベン・ウルリッヒとペアを組んだダブルス戦を落としてしまう。ウルリッヒがシングルス2試合を落としたため、デンマークは2勝3敗でベルギーに敗れ、世界最上位国による「ワールドグループ」進出を逃した。これがニールセンの時代のデ杯最高成績で、その後デンマークはワールドグループ昇格のチャンスをつかむことができなかった。
1955年ウィンブルドン選手権で、クルト・ニールセンは準々決勝でイタリアニコラ・ピエトランジェリ、準決勝で再びケン・ローズウォールを破り、2年ぶり2度目の決勝戦に勝ち進んだ。しかし、決勝ではアメリカトニー・トラバートに 3-6, 5-7, 1-6 のストレートで完敗し、ウィンブルドンの男子シングルスでは2度の準優勝に終わった。1957年全米選手権で、ニールセンは黒人選手のアリシア・ギブソンと混合ダブルスのペアを組み、ロバート・ハウオーストラリア)&ダーリーン・ハード組を 6-3, 9-7 で破って初優勝を飾った。これがデンマーク人のテニス選手として最初の4大大会優勝である。しかし、1958年ウィンブルドン選手権混合ダブルスで、ニールセンとギブソンは決勝でオーストラリアペアのロバート・ハウ&ロレイン・コグラン組に 3-6, 11-13 で敗れ、ニールセンはとうとうウィンブルドンのタイトルに手が届かずに終わってしまった。
現役最後の年となった1960年、デンマークはデビスカップの「ヨーロッパ・ゾーン」準々決勝でフランスに5戦全敗で終わり、ニールセンも出場3試合すべてに敗れた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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