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クルンタ クルンタ(Kurunta, 紀元前13世紀後半)は、ヒッタイトの王族あるいは大王。ムワタリ2世の息子。王位を追われたムルシリ3世の弟であり、王位を従兄弟のトゥドハリヤ4世と争った。 == 事績 ==
=== タルフンタッシャ王 === クルンタはヒッタイトの大王ムワタリ2世の息子である。「クルンタ」とはルウィ語の精霊の名〔鹿を使いとして伴っており、ルウィ語象形文字では鹿の角の形で表現される〕であり、割合ありふれた人名であるが、彼は別に「ウルミ・テシュプ」というフルリ語名ももっていたとされる〔''Ulmi''というフルリ語には「女奴隷」という意味があるので、これは女性でありクルンタとは別人とする意見もある〕。父を継いで大王となった兄ムルシリ3世はその叔父ハットゥシリ3世に王位を追われて国外に亡命したが、クルンタは国に留まった。彼は幼時にハットゥシリに預けられて養育されたといわれる。クルンタはハットゥシリにより帝国南部にあるタルフンタッシャの副王に封じられ、またその妃はハットゥシリの王妃プドゥヘパが選ぶとされた。これはクルンタや親ムルシリ勢力懐柔のためであると思われる。 しかしクルンタに正当な王位継承権があることに違いはなく、ハットゥシリの跡を継いだその息子トゥドハリヤ4世とは微妙な関係にあったようである。それを如実に示す史料が1985年にハットゥシャの遺跡で偶然発見された。青銅板に大王トゥドハリヤとタルフンタッシャ王クルンタの友好条約(誓約)を彫ったもので、クルンタがトゥドハリヤに忠誠を誓う代わりに、クルンタにはタルフンタッシャの支配が保障されるという内容である。ほぼ完全に残っていたこの青銅板はそれ自体がきわめて希少価値のある発見であり、また地名や条約の様式、登場人物の人間関係など、書かれた内容もヒッタイト学に大きな衝撃を与えるものとなった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「クルンタ」の詳細全文を読む
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