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クレシ・チネマトグラフィカ : ミニ英和和英辞書
クレシ・チネマトグラフィカ[らふ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ラフ : [らふ]
  1. (adj,n) rough 2. (adj,n) rough

クレシ・チネマトグラフィカ : ウィキペディア日本語版
クレシ・チネマトグラフィカ[らふ]

クレシ・チネマトグラフィカ()は、イタリア映画製作会社である。
映画プロデューサーシルヴィオ・クレメンテッリとアンナ・マリア・カンパニーレ(のちのアンナ・マリア・クレメンテッリ)によってローマに設立された。1960年代後半から1970年代にかけてを最盛期として、「イタリア式コメディ」を量産した製作会社である。
== 来歴・概要 ==
1966年〔BFI | Film & TV Database | Clesi Cinematografica (2007年11月7日閲覧)には「1968年営業開始(''Started trading: 1968'')」とあるが、IMDbのClesi Cinematografica (2007年11月7日閲覧)によれば、「1966年」から作品を製作している。設立第一作を記述する都合上、後者「1966年」を採用した。〕、シルヴィオ・クレメンテッリ、アンナ・マリア・カンパニーレのふたりがローマに設立した映画製作会社である。設立第一作はパスクァーレ・フェスタ・カンパニーレ監督、カトリーヌ・スパーク主演のコメディ映画『結婚戦争』(1966年、日本未公開)で、以降、同監督と組んでスパーク主演の『女性上位時代』(1968年)やラウラ・アントネッリ主演の『クロツグミの男』(1971年)といった艶笑コメディを量産した。
1977年から1992年までは、クレメンテッリ夫妻が連名で作品をプロデュースした。ジャッロ映画マカロニ・ウェスタンモンド映画にあって、同社はそれらに手を染めず、「イタリア式コメディ」を基調とした恋愛もの、文芸もの、歴史もの、青春ものに徹した。1992年の『青い体験2000』(日本未公開)以降、夫妻はプロデューサーとしては事実上引退したが、同社は映画製作をつづけた。2001年12月4日、シルヴィオがローマで死去(75歳没)。アンナ・マリアの現況は不明である。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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