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クレッセンブルンの戦い : ミニ英和和英辞書
クレッセンブルンの戦い[くれっせんぶるんのたたかい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ブル : [ぶる]
 【名詞】 1. bull 2. (n) bull
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦い : [たたかい]
 【名詞】 1. battle 2. fight 3. struggle 4. conflict 

クレッセンブルンの戦い : ウィキペディア日本語版
クレッセンブルンの戦い[くれっせんぶるんのたたかい]

クレッセンブルンの戦い()は、1260年7月13日に現在のオーストリアニーダーエスターライヒ州ゲンゼルンドルフ郡の町エンゲルハルトシュテッテンで起こった、ボヘミアオタカル2世ハンガリーベーラ4世の戦闘である。
== 経過 ==
1246年バーベンベルク家最後のオーストリア公フリードリヒ2世が戦死してバーベンベルク家の男系男子が絶えた。相続人はフリードリヒ2世の姉マルガレーテだったが、1252年にボヘミアの王太子オタカルと結婚、オーストリアはオタカルが領有、1253年にはボヘミア王オタカル2世となった。
ハンガリー王ベーラ4世はオタカル2世のオーストリア継承に反対、フリードリヒ2世とマルガレーテの姪ゲルトルートと結婚したロマン・ダヌィーロヴィチ(ハールィチ・ヴォルィーニ大公ダヌィーロ・ロマーノヴィチの息子)を擁立してオタカル2世と対立、1254年ローマ教皇インノケンティウス4世の調停でベーラ4世の王太子イシュトヴァーン(後のイシュトヴァーン5世)がシュタイアーマルクを領有、公爵として統治することに決定、オーストリアの問題は解決すると思われた。
ところが、シュタイアーマルクの貴族がハンガリーの支配に反対し、ボヘミアの継承を望むようになると相続問題が再燃、両者はそれぞれの同盟国に呼びかけ、決着を付けようとした。
ボヘミア軍にはハンガリー、ポーランド、シュタイアーマルクの軍が合流、ハンガリー軍はボヘミア、モラヴィア、クマン人、ロシア、ブルガリア、ウクライナなどの軍勢を率いてモラヴァ川で対峙した。イシュトヴァーン王太子はモラヴァ川を渡り攻撃をかけたが、エンゲルハルトシュテッテン村でボヘミアの攻撃を受けて敗走、モラヴァ川で多くのハンガリー軍が溺死した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「クレッセンブルンの戦い」の詳細全文を読む




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