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『クレージー黄金作戦』(クレージーおうごんさくせん)は、東宝創立35周年記念作品〔『日本のいちばん長い日』(岡本喜八監督。奇しくも、上映時間は本作と同じ157分である)、『乱れ雲』(成瀬巳喜男監督)、『なつかしき笛や太鼓』(木下惠介監督)、『南太平洋の若大将』(古澤憲吾監督)、『キングコングの逆襲』(本多猪四郎監督・円谷英二特技監督)など、本作を含め全部で11本が製作・公開された(『クレージー映画大全』(1997年・フィルムアート社、ISBN 4845997703) P.110)。〕の1作品として1967年に製作・公開されたクレージーキャッツ主演映画。 日本映画史上初のアメリカ本土ロケを敢行し、ラスベガスのメインストリートを封鎖して撮影されたダンスシーン、またハワイ・ワイキキビーチでの、共に1960年代の東宝娯楽路線を支えた植木等と加山雄三の共演シーン〔同一カットでの植木と加山のツーショット、およびセリフのやりとりは無し。植木・ハナ・谷、そして加山と、それぞれ別々に撮られたワイキキビーチでのカット、撮影所で撮られたカット(加山のみ)などを編集の上、ひとつのシーンとして構成している。ただし、本作の脚本も手がけた田波靖男が1997年に出版した『映画が夢を語れたとき』(広美出版事業部、ISBN 9784877470074)の表紙には、このシーンと同じ衣装を身につけた植木と加山が真剣な表情で打ち合わせをしている、撮影の準備中と思われる(場所もワイキキビーチと思われる)スナップ写真が用いられている。〕などが話題となった。上映時間157分に及ぶ大作である。興行収入6億8000万円、配給収入3億4000万円、観客動員数290万人の大ヒットとなった〔田波靖男・著『映画が夢を語れたとき』(1997年・広美出版事業部、ISBN 4877470077)P.145-146〕〔キネマ写真館:作品詳細「クレージー黄金作戦」 〕。 本作〔短編映画『鶴と白鳥と流氷の故郷』が同時上映された。〕と翌1968年の『クレージーメキシコ大作戦』は、一本立てで公開された。 == ストーリー == 博打好きの僧侶・町田心乱は、博打のつけが溜まってしまい、債権者の一人である北川の経営する金友商事でタダ働きすることに。しかし心乱は、会社を利用して体よくロサンゼルスへと旅立つ。その飛行機で乗り合わせた国会議員の板垣重金、そして医師の梨本金男を「ラスベガスへ行けば3000ドルある」と焚きつけ、ラスベガスのカジノで一儲けしようと考える。しかし、持ち金をほぼ使い果たし、わずかな残金を支払い「行けるところまで」と三人で乗ったラスベガス行きのバスを降りると、そこは砂漠のド真ん中。炎天下の砂漠を彷徨う途中インディアンに追いかけられ、ラスベガスではギャング団に狙われ……と災難続き。イチかバチかの賭けの末、最終的には3600万ドルという大金を得ることができたものの、帰国後に海野月子の策略で全額慈善団体に寄付させられ、その金で建設された病院の前に、黄金に輝く3人の像が残ることとなったのだった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「クレージー黄金作戦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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