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クレーフ公国 : ミニ英和和英辞書
クレーフ公国[くに]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [こう]
  1. (n,suf) prince 2. lord 3. duke 4. public 5. daimyo 6. companion 7. subordinate
公国 : [こうこく]
 【名詞】 1. dukedom 2. duchy 3. principality
: [くに]
 【名詞】 1. country 

クレーフ公国 ( リダイレクト:クレーフェ公国 ) : ウィキペディア日本語版
クレーフェ公国[くれーふぇこうこく]

クレーフェ公国:Herzogtum Kleve)またはクレーフ公国:Hertogdom Kleef)は、神聖ローマ帝国の領邦国家。その領域は現在のドイツノルトライン=ヴェストファーレン州の一部)とオランダリンブルフ州北ブラバント州ヘルダーラント州の一部)に跨って存在した。公国はクレーフェを首都とし、領域はライン川両岸に広がっていた。おおよそ現在のクレーフェ郡、ヴェーゼル郡、デュースブルクに相当する。
== 歴史 ==
クレーフェ伯領が史料で最初に登場するのは、11世紀のことである。伯爵領は1417年に公爵領に昇格した。クレーフェはユーリヒ公国ベルク公国ゲルデルン公国マルク伯領といった近隣諸国と関係が深かった。1368年にはマルク伯領と合併している。1521年、ユーリヒ、クレーフェ、ベルクの3公国はユーリヒ=クレーフェ=ベルク連合公国を形成した。
1609年、最後のユーリヒ=クレーフェ=ベルク公ヨハン・ヴィルヘルムが子供のないまま死ぬと、ブランデンブルク選帝侯ヨーハン・ジギスムントプファルツ=ノイブルク公フィリップ・ルートヴィヒが連合公国の継承をめぐってユーリヒ=クレーフェ継承戦争を起こした。両者は1614年にクサンテン条約を結び、プファルツ=ノイブルク公がユーリヒ=ベルク公国を、ブランデンブルク選帝侯がクレーフェ公国及びマルク伯領、ラーフェンスベルク伯領を手に入れた。しかし、ブランデンブルク選帝侯の統治するクレーフェ公国の大部分は1672年までネーデルラント連邦共和国に占領されていた。公国は1701年に成立したプロイセン王国の一部とされたが、七年戦争中の1757年から1762年まではフランスに占領されている。
1795年、クレーフェ公国の左岸地域とヴェーゼルはフランス共和国に占領され、フランス領ロール県の一部とされた。残りの地域も1803年から1805年にかけてフランスに征服され、フランスはこの地域をイッセル=スペリュール県と傀儡国家ベルク大公国に編入した。ベルク大公国に編入された部分は、1811年にフランス領リップ県の一部とされた。1815年ナポレオンが失脚すると、クレーフェ公国はプロイセン王国領ユーリヒ=クレーフェ=ベルク県(1822年にライン県に統合される)に編入された。ただしヘネプ、ゼフェナール、ハイッセンの3都市に関しては、1815年のウィーン会議の決定でネーデルラント連合王国領となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「クレーフェ公国」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Duchy of Cleves 」があります。




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