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クロアチアのユーロビジョン・ソング・コンテスト : ミニ英和和英辞書
クロアチアのユーロビジョン・ソング・コンテスト[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

クロアチアのユーロビジョン・ソング・コンテスト : ウィキペディア日本語版
クロアチアのユーロビジョン・ソング・コンテスト[ちょうおん]

クロアチアのユーロビジョン・ソング・コンテストでは、クロアチアにおけるユーロビジョン・ソング・コンテストについて述べる。クロアチアは、1991年ユーゴスラビアから独立を果たし、1993年大会で初出場した。1993年から2009年まで、スウェーデンモナコ等と並んで、クロアチアは毎年欠かすことなく大会に参加を続けている数少ない国となっている。また、初出場以降、長期間にわたってずっと出場を続けている国はスペインとクロアチアのみである。
1961年大会から1991年大会までの間、クロアチアはユーゴスラビアの一部として参加していた。この間にユーゴスラビア代表として大会に参加した26エントリのうち、半数の13エントリをクロアチアから出しており、ユーゴスラビア時代はその構成諸国の中でもっとも多くのユーゴスラビア代表を輩出している。ユーゴスラビア代表として唯一優勝を果たした、1989年大会に参加し「Rock Me」を歌ったリヴァ もクロアチア出身である。リヴァの勝利により、翌年の1990年大会ザグレブで開かれた。
1991年にユーゴスラビアが解体されると、クロアチアは独立国として1993年大会に初めて出場した。クロアチアの公共放送であるクロアチア国営放送は、その前の1992年大会のクロアチア代表を選ぶフェスティバルを催した。しかし当時、クロアチア国営放送は欧州放送連合に加盟しておらず、1992年大会への参加はかなわなかった。このとき、もしクロアチア国営放送が欧州放送連合に加盟していたら、初の参加はマガジンの「Aleluja」となる予定であった〔Croatian Contest for the Eurovision Song Contest - Grand Prix '92 〕。
クロアチアの初参加は1993年大会となった。クロアチア代表として大会に参加したのはプットPut)の「Don't Ever Cry」で、この曲はタイトルは英語であるがクロアチア語で歌われた。2008年までの間に、クロアチアで最高の順位となったのは、1996年大会でのマヤ・ブラグダンMaja Blagdan)の「Sveta ljubav」、および1999年大会ドリス・ドラゴヴィッチDoris Dragović)の「Marija Magdalena」で、ともに4位となった。
クロアチア代表を決める国内選考はHRTドラDora)で、クロアチア国営放送によって毎年開催される。
== 参加者 ==


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「クロアチアのユーロビジョン・ソング・コンテスト」の詳細全文を読む




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