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クロスキーズの戦い : ミニ英和和英辞書
クロスキーズの戦い[くろすきーずのたたかい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦い : [たたかい]
 【名詞】 1. battle 2. fight 3. struggle 4. conflict 

クロスキーズの戦い : ウィキペディア日本語版
クロスキーズの戦い[くろすきーずのたたかい]

クロスキーズの戦い(クロスキーズのたたかい、英:Battle of Cross Keys)は、南北戦争初期の1862年6月8日バージニア州ロッキンガム郡で行われた戦闘である。南軍ストーンウォール・ジャクソン少将のシェナンドー渓谷を舞台にしたバレー方面作戦の一部だった。この戦闘の翌日に行われたポートレパブリックの戦いと共に南軍の決定的勝利となり、北軍はシェナンドー渓谷から撤退し、ジャクソンはリッチモンド郊外で行われた七日間の戦いロバート・E・リー将軍の軍隊の支援に回ることができた。
== 背景 ==
バージニア州の小村ポート・レパブリックは、シェナンドー川南支流に合流するノース川とサウス川に挟まれた土地の首部にある。1862年6月6日から7日、ジャクソン軍約16,000名はポート・レパブリックの北で露営し、リチャード・イーウェル少将の師団はグッズミルに近いミル・クリークの岸に、チャールズ・S・ワインダー准将の師団は橋に近いノース川北岸にあった。1個連隊(第15アラバマ連隊)がユニオン教会の所で道を塞ぐために残された。ジャクソンの作戦本部はポート・レパブリックのマディソン・ホールにあった。輜重隊が近くに置かれた。
北軍の2部隊がジャクソンの陣地に向かった。ジョン・C・フレモント少将の山岳軍管区の軍隊約15,000名(1個師団+独立3個旅団)はバレー・パイクを南に進み、6月6日にハリソンバーグ近郷に達した。ジェイムズ・シールド准将の師団約10,000名はルレー・バレーのフロントロイヤルから南に進んだが、ぬかるんだルレー道路のためにひどく遅延していた。ポート・レパブリックでは、ジャクソンがノース川に架かる最後の橋とサウス川の浅瀬を確保していた。そこはフレモント軍とシールド軍が合流を目指した地点だった。ジャクソンはフレモント軍の進軍をミル・クリークで抑え、一方シールド軍にはシェナンドー川南支流の東岸で会しようと考えた。マサナッテンにあった南軍の信号所から北軍の進行を伝えていた。
6月7日の遅い時間帯に、フレモント軍の前衛部隊がクロスキーズ酒場近くでジャクソン軍の哨兵に遭遇した。数発の銃火が発せられ、北軍の騎兵は近付きつつある主力軍のところに戻った。闇が訪れ、それ以上の展開は無かった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「クロスキーズの戦い」の詳細全文を読む




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