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クロチルド・ド・フランス : ミニ英和和英辞書
クロチルド・ド・フランス[らんす]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ラン : [らん]
 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)
ランス : [らんす]
 【名詞】 1. lance 2. (n) lance

クロチルド・ド・フランス ( リダイレクト:クロティルデ・ディ・ボルボーネ=フランチア ) : ウィキペディア日本語版
クロティルデ・ディ・ボルボーネ=フランチア[らんす]

クロティルデ・ディ・ボルボーネ=フランチアイタリア語全名:Maria Clotilde Adelaide di Borbone-Francia, 1759年9月23日 - 1802年3月7日)は、サルデーニャカルロ・エマヌエーレ4世の妃。フランスルイ16世ルイ18世シャルル10世の妹。フランス語名はクロティルド・ド・フランス(Marie Adélaïde Clotilde Xavière de France)。
フランスのドーファン(王太子)ルイ・フェルディナンと妃マリー=ジョゼフ・ド・サクスの次女としてヴェルサイユで生まれた(長女は夭折しているため、実質的には長女)。ルイ16世ルイ18世シャルル10世の妹、エリザベート王女の姉にあたる。
1775年、当時サルデーニャ王子であったカルロ・エマヌエーレと結婚した。クロティルデの祖父ルイ15世の母であるマリー・アデライード・ド・サヴォワはサルデーニャ王家出身で、カルロ・エマヌエーレの大伯母にあたる。また、カルロ・エマヌエーレの妹のマリーア・ジュゼッピーナマリーア・テレーザがそれぞれ、クロティルデの兄であるプロヴァンス伯ルイ・スタニスラス(のちのルイ18世)およびアルトワ伯シャルル(のちのシャルル10世)と結婚していた。
夫との間には子が生まれなかったが、夫婦仲は良好であった。生涯を通じて故国フランスへ戻ることは一度もなく、1789年のフランス革命発生後、国を脱出した親族らをトリノへ迎え入れた。兄アルトワ伯、叔母アデライード王女、ヴィクトワール王女は、一時期クロティルデの元に身を寄せていた。
1796年、カルロ・エマヌエーレ4世が即位する。当時、フランス革命政府とサルデーニャ王国は交戦中であった。1798年以降、大陸本土に持つ領土をフランスに占領され、カルロ・エマヌエーレ一家はサルデーニャ島へ逃れることになった。統治に関心の薄かったカルロ・エマヌエーレは、王妃クロティルデとともに裕福なコロンナ家の食客となり、ローマナポリで生活した。
1802年3月、クロティルデは病のためナポリで死去し、ナポリのサンタ・カテリーナ・ア・キアイーア教会に埋葬された。同年6月にカルロ・エマヌエーレ4世は退位し、弟ヴィットーリオ・エマヌエーレ1世が即位した。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「クロティルデ・ディ・ボルボーネ=フランチア」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Marie Clotilde of France 」があります。




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