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クロンシュタット級重巡洋艦(、)は1930年代、ソビエト連邦海軍が列強海軍の整備する条約型重巡洋艦に対抗すべく建造した重巡洋艦である。ソ連のみ重巡洋艦と主張したが、武装と排水量から世界的には巡洋戦艦並みの扱いを受けた。第二次世界大戦勃発により、未成艦で終わった。 == 建造までの経緯 == ソ連海軍はロシア革命とその後のロシア内戦の混乱により、往時とは比べようもないほどに荒廃した海軍の建て直しのためにイタリアに頭を下げて援助を受けて再建する事とした。イタリアから技術者の招聘してソ連技術の向上と、ソ連海軍士官をイタリア海軍に留学させて学ばせる事により促成栽培を開始した。それに並行してイタリア式設計による重巡洋艦「キーロフ級」、「マクシム・ゴーリキー級」の建造に成功した。これに気を良くしたスターリンは第一中央造船設計局に列強の重巡洋艦を凌駕する重巡洋艦の建造を命令した。前述の通り当時のソビエト連邦はワシントン海軍軍縮条約には加盟しておらず、同条約の「重巡洋艦は主砲は8インチまで、基準排水量は10,000トン以下」の制限は受けないために自由な発想で設計が行えたのである。しかし、それ以前にソ連海軍には重巡洋艦という艦種は存在せず、設計者は便宜上としてロシア帝国海軍時代に建造した「装甲巡洋艦」や「大型巡洋艦」という名目で呼称し、設計を開始した。 設計は1930年代後半より始まり、1935年5月には仮称「X型巡洋艦」の設計を完了した。これは、単艦であらゆる作戦任務を行える万能型巡洋艦として設計されており、満載排水量2万トンで主砲は24cm砲3連装4基12門で水上機は12機も搭載し、更には小型潜水艇を2隻も搭載しておいて速力38ノットという意欲的な設計であった。また、同時期に「大型巡洋艦」案が提出され、これは満載排水量24,000トンで主砲は25cm砲3連装3基を搭載し速力36ノットを発揮するという設計であった。しかし、艦政当局はこの設計案を退けて基準排水量23,000トンの「22型 装甲巡洋艦」と呼ばれる設計計画を開始させたが、後に計画は中止となった。 この頃のイタリア海軍はフランス海軍が建造していた新戦艦「ダンケルク級」(基準排水量26,500トン、主砲33cm砲4連装2基8門、速力30ノット)に対抗すべく、旧式戦艦「コンテ・ディ・カブール級」の大規模な近代化改装に着手した矢先であり、2万トン台の中型戦艦・大型巡洋艦の研究実績・設計案には事欠かなかった。そのお陰で、幸運にも同時期に似たような艦種を模索していたソ連海軍はイタリアからの設計案の提供に恵まれていたのである。そうした時期にアンサルドから「1936年度 巡洋戦艦案」が提案された。これは満載排水量26.700トンで25cm砲3連装3基を搭載すると言うもので、同設計局はこれを踏まえて既存の「X型巡洋艦」と「22型 装甲巡洋艦」を組み合わせて列強の重巡洋艦に対抗可能で、単独での通商破壊戦を可能とする重巡洋艦「69型 重巡洋艦」の設計を1936年11月に承認された。要求性能は満載排水量22,000トンから23,000トン級の大きさで、主砲は25.4cm(10インチ)砲9門、速力34ノットという物で、設計は第一中央造船設計局から改名された第17中央設計局が引き続き担当した。 原案は1938年6月にニキチン主任設計士官が完成させ、海軍はそれを承認した。だが、ここでスターリンは「69型 重巡洋艦の主任務はドイツ海軍が建造中のシャルンホルスト級戦艦を超えるものである」と要求性能を吊り上げた。確かに、「69型 重巡洋艦」の初期案では既存の重巡洋艦を凌駕するものではあるが、25.4cm砲ではドイツ海軍の巡洋戦艦には対抗不能である。そのため、海軍は「69型 重巡洋艦」の要求性能を改定し、主砲は25.4cm砲から30.5cm(12インチ)砲へ、基準排水量は31,000トンへと大型化された反面、速力要求は34ノットから32ノットへと若干下げられた。 しかし、事態を重く見た海軍当局は合同で特別委員会を設置し、対抗艦を排水量的に同クラスであるドイツ海軍の「シャルンホルスト級」、フランス海軍の「ダンケルク級」、イギリス海軍の「レナウン級」、イタリア海軍の改装戦艦「コンテ・ディ・カブール級」「カイオ・ドゥイリオ級」、日本海軍の「金剛型」に定めて研究した結果、本級の要目が定まった。基準排水量はシャルンホルスト級に並ぶ38540トン、主砲は30.5cm砲3連装3基9門で速力32ノットという紛れもない高速戦艦であった。この結果に気を良くしたスターリンは建造を承認し、建造を早急に行うよう命令したために1939年11月に1番「クロンシュタット」がレニングラード造船所で起工、2番艦「セヴァストーポリ」がニコラエフ造船所で起工された。なお、余談としてスターリンが建造を承認した時点では大まかな設計案は決まっていても、未だ最終設計は定まっておらず、最終決定案は起工後の1940年4月11日に承認されたというエピソードがあった。 最終案が出た時に本級の主砲は設計は完了していたが製造遅延の問題が起こった事により建造ペースが遅らされ、同年10月19日には実質工事停止状態に陥った。この時期に同年2月に「独ソ通商協定」が締結されたことに伴い、ドイツより技術導入が可能になったことで「ビスマルク級」の主砲として採用された「SK C/34 38cm(47口径)砲」を砲塔ごと提供される予定となったために本級の本級にドイツ製38cm連装砲塔を搭載するよう改設計が急遽行われ、この設計案は「69-i型 重巡洋艦」と呼称された。しかし、ドイツでは優先的に自国海軍向けに大砲が卸され、結局のところソ連には38cm砲は届かず。結局主砲搭の搭載は未定のまま建造が進められたが第二次世界大戦開始に伴い、完成する見込みがない本級の建造資材は陸軍の兵器製造に回されてしまい、残った船体もやがては解体されてしまった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「クロンシュタット級重巡洋艦」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Kronshtadt-class battlecruiser 」があります。 スポンサード リンク
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