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クロヴィス1世 : ミニ英和和英辞書
クロヴィス1世[くろう゛ぃす1せい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 

クロヴィス1世 : ウィキペディア日本語版
クロヴィス1世[くろう゛ぃす1せい]

クロヴィス1世〔クロヴィスはフランス語読み。古代ラテン語表記のクロウィス(Clovis)、ラテン語ではクロドウェクス()または古高ドイツ語および中高ドイツ語表記のクロードヴェヒクロートヴィヒ(Chlodowech, Chlodwig)と長音される表記もみられる。現代フランス語ルイ(Louis)、現代ドイツ語ルートヴィヒ(Ludwig)に当たる。〕(, 発音例 , 466年頃 - 511年)は、メロヴィング朝フランク王国の初代国王(在位481年 - 511年)である。日本では大半の書籍〔各社の高校世界史関連の教科書・参考書、一般書など〕では、フランス語読みの「クロヴィス」でなく、英語ないしドイツ語読みに近いクローヴィス1世の表記が用いられる。
クロヴィスは一夫多妻制の生活を送っていたが、妻の1人であった王妃クロティルドの影響で、(形式的であるが)キリスト教アタナシウス派カトリック教会)に改宗して、これを保護したのでガリアでの布教活動に大きな貢献があった。
== 概要 ==
サリー・フランク族キルデリク1世
を父、のを母としてトゥルネー(現ベルギー領)で生まれた。当時は現代のフランスベルギー国境付近のトゥルネーカンブレーを中心とするライン川低地西部を占めていたに過ぎなかった。
481年に即位したクロヴィスはライン川北岸のフランク人を統一、486年にはガリア北部を支配していた西ローマ系軍閥のアフラニウス・シュアグリウスソワソンの戦いで破り、版図を一挙にロワール川北部に拡大、旧ローマ属州ベルギカ・セクンダを支配下に治めた〔R.ミュソ=グラール、p.42。〕。さらにクロヴィスは妹のアウドフレドを東ゴート王国テオドリックに嫁がせて同盟を固め、493年にはブルグンド王国の王女クロティルドとソワソンで結婚した。
496年から497年にかけて、でアラマンニ人に勝利した後、王妃クロティルドの薦めでカトリックに改宗した。東ローマ帝国の人物との接触の長いフランク族の王クロヴィスはキリスト教ニカイア派を信仰していた〔R.ミュソ=グラール、p.81。〕。この改宗はゲルマン民族諸王の中で初めて行われたカトリックへの改宗であった。一方西ゴート族ヴァンダル族はすでにキリスト教に改宗していたが、その宗派はアリウス派であった。当時のガリア住民は大部分カトリックであったため、クロヴィスのカトリック改宗はガリア領内のローマ系市民との絆を強化するものであった。498年にランスで戴冠式をおこなった。
500年にはディジョンでブルグンド王国と戦い、507年にはアルモリカ人の支援を得て西ゴートアラリック2世を破った。この勝利で勢いをつけたクロヴィスはそのまま西ゴート王国の首都トゥールーズまで進軍し、アキテーヌの大部分を獲得した〔フランス史、p.137-138。〕。フランク王国の領土は北海からピレネー山脈まで大きく拡張され、南フランスを支配していた西ゴート王国はイベリア半島に押し込められた。この遠征の後の508年、クロヴィスは東ローマ皇帝アナスタシウス1世からローマ帝国名誉執政官に任命された〔フランス史、p.138。〕〔R.ミュソ=グラール、p.112。〕。508年パリを定め、セーヌ川左岸に聖ペテロとパウロに捧げた修道院(のちのサント=ジュヌヴィエーヴ修道院)を築いた。その遺構は今もパンテオン近くにクロヴィス塔として残る。
クロヴィスは晩年フランク人の小王を次々に姦計にかけ、そのほとんど全てを抹殺した。それによりメロヴィング朝は他の家系から脅かされることなく、300年近い命脈を保ったと言われている。
クロヴィスは511年11月27日に死去し、パリの北方4キロほどの街、サン=ドニにあるサン=ドニ大聖堂に埋葬された。その遺領はフランク人特有の財産均等分割相続の習慣に従い、4人の息子テウデリククロドメールキルデベルトクロタールに分割された。フランス人の伝統によれば、パリに都したクロヴィス1世はフランス王国の基礎を築いた最初のフランス王であった。クロヴィスの生涯はトゥール司教グレゴリウスが詳細な年代記を残している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「クロヴィス1世」の詳細全文を読む




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